人として人を見る
近所に本屋さんができるらしい。僕は恥ずかしながら郵便受けをマメにチェックするタイプではないので、気がつくとパンパンにチラシが入っていることも珍しくない。普段ならチラシはちらっと見てすぐに捨ててしまうことが多いのだが、その中に紛れていた本屋さん開店のチラシを見逃すことはなかった。
僕は広告というものがあまり好きではなくて、「こんなチラシや電車広告たくさん出して意味あるのか?」なんて失礼極まりない見方をしてしまうのだが、ちゃんと意味はあるのだと痛感することになった。
思い返してみると、「本屋さんが新しくオープンする」という話を聞いたことは、今までなかったかもしれない。逆に「あの本屋さん来月でなくなるらしいよ」みたいな話は山ほど聞いた。僕の地元にも、十年前くらいまでは小学校の教室くらいの大きさの本屋さんがあったのだが、ふと気がつくとなくなっていた。立ち読みにやけに厳しい店で、本を手に取ってパラパラするだけで「立ち読みするなら買うか帰るかしてください」と怒られるのであまり好きな店じゃなかったが、いざなくなってみると喪失感の大きさに戸惑う。
今の時代、街の本屋さんはちゃんとやっていけるのだろうか。雑な計算だけど、本が一冊1,000円だとして、10時間営業で15分に一冊売れるとしたら(売れすぎな気もするけど)1日の売り上げは40,000円。月に25日営業するとして、月の売り上げは100万円。書店の利益率は2割くらいらしいから、利益は20万円。そこからテナント料を払ったら、儲けはほぼないか、下手したらマイナスになってしまうだろう。素人計算でも厳しさがわかる。
もちろん、店主さんも厳しさは承知だろう。ただ、それでも街の本屋さんをやりたい、という強い想いがあったのだと思う。まだオープンしていないからチラシでしか存在を知らないけれど、店主さんはどんな人だろうかと想像せずにはいられない。年齢はどれくらいか、これまではどんな仕事をしていたのか、どんな本を読むのか。少し先のオープン日が待ち遠しくてたまらない。
そういえば最近は「商店街」というものに行っていないなと思い、家から少し離れたところにある商店街に行ってみた。失礼ながらあんまり活気はなくて、お年寄りがシルバーカーを押しながらトボトボ歩いている。スピーカーからは控えめな音量で昭和民謡が流れていて、もの寂しさに拍車をかけている。「せきばく」とはこういうことか、と妙に納得してしまう。
でもそんな商店街にも心惹かれるお店はたくさんあった。素敵な花屋さん兼雑貨屋さんを発見して中に入ってみると、こじんまりとした店内に花の香りがあふれていて、思わず鼻から深呼吸を繰り返してしまう。このお店では「花の定期便」をやっていて、定期的に季節の花を届けてくれるそうだ。僕の家はあまりに日当たりが悪すぎるので生花はなかなか厳しそうだけど、レジの脇に置いてあったドライフラワーに惹かれて、つい手に取ってしまった。
人のあたたかさ、人のこだわりに触れ、その人の人生に想いを馳せるとき、自分から見えているものが、いつまで経っても世界の全部にはなり得ないのだとつくづく思う。世界を集団で捉えて、「Z世代」やら「クライアント」やら「MBTI」なんて言葉があふれかえる現代では、世界は人が集まってできているという、そんな当たり前のことが忘れられがちだ。人として人を見る、その気持ちを忘れずにいたい。