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寝癖、曲がったメガネ、3:04PM
バイト先で、とある女の子に会った。制服に着替えて出てくるなり顔を思いっきりしかめ、ショートくらいの長さの髪は寝癖がところどころついていて(午後3時なのに)、絶対にメガネ屋さんに行って直してもらったほうがいいと誰もが口を揃えて忠告しそうなほど盛大にゆがんだフレームのメガネをかけている。正直に言って決して近づきやすいとは言えない人だったけど、テーブルを拭いて回る彼女を見ているうちに、目の奥からギラっと発せられる光の強さが妙に気になってしまって、話しかけてみることにした。
年は僕の一つ下だから大学2年の代だけど、去年の4月から1年間大学を休学していて、今度の4月からは服飾の専門学校に通うのだと言っていた。好きなYoutuberはちょっと人に言えるようなものではないらしい。僕は東海オンエアが昔から好きだよというと、「懐っ」との反応をいただいた。結構ズバズバものをいうタイプで、他の人が言ったら間違いなく反感を買うようなことも平気で言うけれど、彼女の場合はそれが親近感になるのだから不思議だ。
彼女はよく本を読むと言うので、僕は村上春樹が一番好きだと言ってみると、急に彼女の食いつきが変わった。「春樹読むんですか!私は『風の歌を聴け』が一番好きなんだけど、たくさん小説書いてるのにデビュー作が一番好きだなんて人には言えないですよね。そもそも春樹は自分で長編作家だって言っているみたいだけど、絶対に短編の方が面白いと思うんですよ。『中国行きのスロウ・ボート』なんて……」あれよあれよと言う間に会話のスピードも量も10倍くらいになってしまった。そもそも作家を下の名前で呼ぶのが気になって仕方ない。
よくよく聞いてみると、彼女は超が3つくらいつくほどの文学好きで、特に安吾(坂口安吾)とかおださく(織田作之助)などの無頼派が好きだけど、太宰は許せないそうだ。彼女曰く、シャブ中が書く小説が一番面白いらしい。僕もこの辺の作家の小説をいくつか読んだことがあるからなんとか話にはついていけたけど、彼女の知識量には到底敵わない。
辞める大学では文学を勉強していたのかと聞くとやはりそうで、授業が古典や近世の文学ばかりで近代の文学を勉強できなかったから辞めて、文学と同じくらい好きな服飾を勉強するのだと言っていた。なんだかうまく言えないけれど、芯が通った強い人だと思った。ちゃんと好きなものを好きと言えて、嫌いなものとか自分に合わないものを見極めて、軌道修正ができる。誰でもできることではない。
なぜ村上春樹が好きなのかと彼女に聞かれたので、ありがたく長考させていただいた後にこう答えた。「つい最近まで、村上春樹の考え方が僕の考え方とすごく似てるから好きなんだと思っていた。けれど、よく考えてみると順序が逆だと言うことに気がついたんだ。多感な中学生の時期に彼の作品を読みまくったせいで、作中の登場人物たちの考え方や行動理念が僕に染み付いて内在化してしまったんだ。だからもう一度作品を読み直すと、まるで自分の考えそのものに思えてめちゃめちゃ共感してしまう。つまるところ僕の考え方の核の部分は、ほとんど彼の作品でできてるんだよ」
こういうと、彼女はその日最大の笑顔で「素敵ですね」と言ってくれた。彼女におださくの作品を読んでみることを約束して、僕は着替えてバイト先をあとにした。クセまみれで濃ゆい人だったけれど、彼女の生き方は素直にかっこいいと思えた。見た目で誤解されることも多いかも知れないけれど、彼女みたいな人が自分の意見を堂々と発信できて、人々に受け入れられるような、そんな世の中になるといい。心からそう願った。