大切にしたい人たち
友人たちと遊びに行く予定ができた。この2人とは2ヶ月に1回くらい集まるのだが、昼過ぎからカラオケに行って、ひとしきり楽しんだら夜ご飯の店を求めて街を歩き回り、結局ファミレスに入るという流れを毎回繰り返している。
でも今回は、誕生日が近い友人のために、僕ともう1人で彼の誕生日プレゼントを買いに行くというミッションがある。男が男に渡すプレゼントって毎回しょうもないもの(ヨーヨー10個とかどでかい犬のぬいぐるみとか)になってしまうのだけれど、やりすぎると恨みが自分の誕生日に降りかかってくるから、ある程度の理性も必要だ。今の候補は5000円分のうまい棒(コンポタ)。
大学生になると、誕生日を祝う習慣がなくなってくる。高校生の頃はLINEのメッセージカードを送りあったり風船を連打したりしたものだけど、あの機能も忘れ去られて久しい。だからこそ、誕生日をしっかり(?)祝いあえる人たちを大切にしたい。そして、「そろそろ集まろう」と声をかけてくれる人を当たり前と思うまい。
僕が大切にしたいと思う人たちの特徴は他にもある。それは、話をちゃんと聞いて、質問を投げかけてくれる人だ。
人の話を聞いて、すぐに「なんで?」と返してしまう人は多い。確かに相手のことを深掘るのも大切だけど、それでは会話をする上でフェアじゃないと感じてしまう。
僕が最近髪を切ってもらっている美容師さんは、こちらから話しかけるまでは話を振ってこない。だから沈黙の時間も割と多いのだが、無理に話を続けようとする雰囲気がないから気まずくならない。そして僕が話しかけるとハサミを止めて聞いてくれて、自分の意見を言った上で、さらに一歩先の問いかけをしてくれる。
沈黙を恐れず、相手にプレッシャーを与えず、的確に質問できるあの人は本当の聞き上手なんだと思う。美容師なのにうまく人と話せないのが悩みだと言っていたけれど、そんなちょっと不器用な優しさに救われる人もたくさんいるのだ、と伝えたい。
そんな素敵な人たちに囲まれている僕だけど、僕自身も周りの人たちに「そのまま変わらないでいてね」と言われることがある。それは、いつものんびりしているように見えるところだ。
そんなふうに見えているのはただ毎日暇なだけだよ、と言うと「毎日暇ですって一回言ってみたい」と返される始末だ。確かにスマホのカレンダーを見比べてみると、僕のカレンダーの白さが際立つ。
僕のカレンダーがまっさらなのには秘密があって(そもそも大した予定がないのがいちばんの理由だけど)、楽しみな予定はメモしないのだ。メモするのは「忘れるかも知れない」からであって、楽しみな予定は忘れようがないからメモしない。たとえば、バイトは基本的に楽しみだからメモしない。
逆に、カレンダーに予定がびっしり書き込んであるのは、僕にとってとんでもなくストレスになる。なぜなら、わざわざ書き込むような予定は「忘れるかも知れない」予定だからだ。そういった予定は、直前まで忘れていて2、3日前に思い出し、前日になると行きたくなさすぎて身悶えすることになる。行ったら楽しいこともあるけれど、解散してからも疲労が余韻を圧倒してしまう。
いつの頃からか、カレンダーをできるだけ白く保つのが習慣になった。自然と楽しい予定が増え、嫌な予定は減った。暇な時間は増えたけど、それはそれでしょうがない。そして暇というもの、僕は嫌いになれない。