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沼のほとりで読書して、羽が生えた鹿を見つけた日
上京して以来初めて、屋外で本を読むということをした。
正確にいえば、「屋外で落ち着いてわりと長時間本を読むということをした」ということになる。訪れたのは、手賀沼。
今までも近所の公園や、駅前のベンチで本を読もうとしたことはあるけれど、公園はせっかく遊んでいる子どもたちを邪魔したくないし、駅前のベンチは老若男女問わずたくさんの人から視線を浴びることになる。自意識過剰なのかもしれないけれど。
手賀沼は茨城寄りの千葉ということになるのだろうか。常磐線に乗って東に向かい、我孫子で降りて沼の周りをぶらぶら歩いていた。
駅から40分くらい歩くと、ベンチがぽつんとおいてある広場にたどり着いた。人通りもない。風はやや強いけど、寒くはない。虫もあまりいない。もう本を読むための場所である。
結局、そのベンチで3時間くらい本を読むことになった。その間、広場の近くを5人も通らなかったと思う。
屋外で本を読むことのいい点は、ふと目を上げても眩しくないことだ。本と目の前の光景はゆるくつながっていて、自由に行き来することができる。
でも、屋外でスマホを見てふと目を上げると、目の前の世界の明るさにびっくりすることがある。よく晴れた日ならなおさらだ。液晶の世界は、目の前の光景から僕たちを切り離してしまう。
ちなみに、目を上げるとこんな光景が見えた。雲を見ると何かの形を求めてしまうのは僕の癖だ。この雲、何に見えるだろうか。
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この時読んでいたのは、山田宗樹さんの『百年法』という本だ。すごく雑に言うと、不老が実現した代わりに100年後に死ななければならなくなった世の中を描くSFモノである。
おそらく自分では手に取らない本だったのだけど、バイト先の女の子におすすめされて図書館で借りてみた。
僕は今のバイト先で大学一年から働いていて、肩書きもバイトリーダーになってしまった。個人的にはもっと気楽にやっていきたいのだけれど。無責任さがバイトの特権なのに、肩書きのせいで中途半端な責任が伴ってしまう。
その女の子は学年が一つ下で、バイトを始めてから数ヶ月だったから、僕には敬語を使ってくれて、僕はタメ口を使っていた。
ところがつい最近、彼女が浪人していることを知った。ということは僕と同い年だ。こうなるとちょっと気まずいのは僕の方だ。
でも、ありがたいことに僕に気まずさを感じさせないくらい彼女はよく喋ってくれる。趣味のことやお互いの恋人のこと、そして好きな本について。
好きな本ってその人の個性が露骨に出るから聞くと面白い。好きな本をきいて初めてわかるその人の一面もある。
『百年法』はというと、見事なまでにこれまでの彼女のイメージと合っていなかった。けれど、彼女が夢中でこの本を読み耽っている姿を想像すると、不思議と違和感を感じない。僕のイメージも当てにならない。
世界にはいろいろな人がいて、それだけでとんでもなくおもしろいな。そんなことを思いながら今日も雲を見上げている。