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生きることは孤独かもしれないけど

人は基本的に自分のことしか考えない。そういうものだと思う。しかしだからこそ、ふとした時に触れる人の優しさやぬくもりが、身の隅々まで深く染み渡るのだろう。


先日バイトに行くと、一つ下の男の子から相談された。「そろそろセンターパートやめたいんですけど、次の髪型どうすればいいですかねー」と。僕の髪型も今はセンターパートだけど、昔は下に落ちるようなパーマをかけていたので、「パーマかけてみたらいいんじゃない」なんて話していた。そんなこんなを話しているうちに昼のピークを迎えて忙しくなり、話は中断された。


でも、お客さんを捌きながらさっきの会話を振り返ってみると、なんだか自分の経験をゴリ押ししているだけの気がしてきた。もちろん僕の意見を彼が全面的に取り入れるとは限らない(多分そんなことはない)のだけど、僕が自分のパーマスタイルを気に入っていたからという理由で、彼が本当にパーマになってしまったら、どうもいたたまれない気持ちになってしまう。そして何より、こんなことを考えてしまうのは、将来の自分(彼がパーマになって複雑な気持ちになるであろう自分)を案じてしまっているからだ。


人のことを考えるというのは、とても難しい。心から人のことを思う、けれど自分が思う「その人」は、その人自身ではあり得ない。僕は、誰かと自分が同じだと思い込んでしまうことがよくある。自分が理解できることは相手も理解できるし、自分が理解できないことは相手も理解できない、というふうに。そう思い込んでしまうたびに、もしくは願ってしまうたびに、人は本来的に孤独だということを、だからこそ愛があり、生きることの喜びがあるのだということを心に刻み込む。感覚的な、かつ個人的な営みとして。


言うまでもないことだけど、僕は他の人にこんな考えを押し付けるつもりはない。むしろ、他人からの好意や、自分と関わってくれる人は本当にありがたいと思っている。そんな素直さは、忘れないでいたいなんて考えていなくても自然と持ち合わせていると信じている。これは高望みだろうか。


最近受け取った好意の話をしたい。僕は某チェーンカフェでバイトをしているのだけど、大学の学期が変わるたびにシフトに入る曜日は変わってしまう。なので、せっかく常連さんと顔馴染みになっても、半年後には会わなくなる、なんてことが起きる。


春休み中は授業と関係なく自由に出勤する曜日を決められるので、久しぶりに半年前に出勤していた曜日で働いてみた。すると、半年前の常連さんが、前と同じ商品を前と同じ決済方法で買っていった。懐かしくてニヤニヤしていると、「お久しぶりですね」と声をかけられてしまった。まさか覚えてもらえているとは。今春休みなんです、と言う話をすると、「暇な時にでもまたお店に顔出してくださいね」とのこと。僕がお店側ですよ。


ほっこりしながら朝のピークを終え、ものを取りに事務所に入ってみると、美味しそうすぎるチョコが置いてあった。添え書きを見ると、「以前、サイフの忘れ物した方からお礼でいただきました。」とある。冒頭でも言ったけど、たかだかチェーンのカフェなのにわざわざこんなことをしてくれるなんて、どんなに素敵な方だろうと思った。

たとえ人は本質的には孤独であったとしても、それを知ったうえで誰かの言葉に耳を傾け、誰かの優しさを感じたときのぬくもりを、ただありのままに受け取る。それだけで、世界が少しずつやさしくなるような気がする。

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