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褒められると死にたくなる
先日、大学のゼミで少し多めに発言したら、先生がぼそっと「すばらしい」と言ってくれた。褒められるのはありがたいことだけど、「そんなつもりで発言したんじゃないのに」みたいなモヤモヤした感情で胸が満たされてしまう。
よく「叱るのは個室で、褒めるのはみんなの前で」のようなマネジメント法を目にするけど、褒められて嬉しい人ってそんなに多いのだろうか。僕は、褒められるならせめて個室がいいし、叱られるならみんなの前のほうがいい。
僕が小学校に入る前くらいに、妹が生まれた。当時の感情は覚えていないけれど、長男、初孫として王様気分だった僕にとって、妹の誕生は大きな変化だったことは間違いない。
年が離れているせいか、僕にとって妹は守るべき存在、目をかけてやるべき存在だった。だから僕も半ば親のような気持ちで妹に接したし、親が妹の世話にかかりきりになるのも当然だと思っていた。
そのせいか、「妹に手がかかる分、自分は自分でやっておこう」という考えが芽生えた。周りに対しても、いつの日からか自分のことを多く語らないことが習慣になった。気がつくと、「何考えてるのかわからない」「聞き上手だね」「ミステリアスだね」の3点セットをよく言われるようになった。
でもそれは、僕が僕だけの世界をつくっていて、その世界に不用意に入られるのを嫌うからだ。基本的に、周りの人たちは僕に特段関心ないだろうと思っている。だから、アドバイスされたり褒められたりすると、自分の世界を侵されたような拒否反応が出て、相手の意向を素直に受け取れない。
だけど、たまにこちらのことを何も意識していないような顔で無理やり入ってくる人がいる。そんな人と、僕は仲良くなりがちだ。いや、そうでもしないと人と仲良くなれないのかもしれない。
実は綿密な計画に基づいているのかもしれないけれど、なんも考えていないような顔をして僕のしょうもない殻をぶち破る。『この世界の片隅に』に出てくる水原さんみたいに。
僕は今まで然るべき時に然るべき人と出会ってきた、そんな直感がある。運が良かっただけなのかもしれないけれど、仮にそれが全て運だったとして、今更その運に見放されるほど神様は冷酷だろうか。
だから、自分でやる気を出して何かを目指すということは向いていないし、できない。「いつか誰かと出会って、もしくはあの時の誰かと再会して、僕と相手が化学反応を起こして、試行錯誤の過程を楽しみ、最終的に良い結果に終わった」みたいなシンデレラストーリーを無邪気に期待している。
このパターンなら、仮に成功して賞賛されても、「いやいや、僕は彼に誘われただけです」みたいな逃げ道も用意できる。褒められるのが苦手な僕にぴったりだ。もし運に見放されてしまったら、その時は思いっきり後悔しよう。
「棚からぼたもち」ということわざ、あるじゃないですか。いいですよね。寝転がっていて、なんか甘いもの食べたいなーと思っているところに、棚からぼたもちが口にスポンと入る。ラッキー!まぁそんなこと滅多に起こらないわけですが。
だから、寝転がった状態で「ぼたもち降ってこないかなー」なんて人はつぶやいたりするわけです。でも「それなら立ち上がって棚にぼたもちを取りに行くべき」とか求めてないアドバイスしてくる奴いるじゃないですか。なんもわかっちゃいないですね。こっちは棚から落ちてくるなら食べたい、と言っているんですよ。わざわざ起き上がって棚まで歩くのってだるいじゃないっすか。そのコストを考慮したら、別にそこまでして食べたくないって気分があるんですよ。