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(後編)就活について、今までとこれから

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7-8月

僕は自分の感覚を信頼していると最初に書いたのだが、この時期は人生で初めて、人に流されるということをした。もし人生最大の挫折は何かと聞かれたら、この時期を挙げると思う。最初にマーケティングという職種を選んだこと、その仕事を好きになれなかったこと、就活に焦らされることと、メンターさんをつけたのが良くなかった。よーいどんの合図があって、そこから全力でばーっとやるタイプの人もいると思うけれど、僕は自分のペースでアクセルとブレーキを踏み分けないといけないタイプの人間だった。そのことをすっかり忘れて、周りに流され、焦りまくった結果、自分に嘘をついている感覚はどんどん強くなっていた。

それでも、マーケティング、企画職系のサマーインターン面接をいくつか受けて、あるIT企業で5日間企画体験をすることになった。この5日間のサマーインターンのことは詳しく書かないけど、仕事は業務内容じゃなくて人、ということを考えさせられた。どんなに興味がある仕事でも一緒に働く人やお客さんを好きになれなければやっていけないし、逆に死ぬほどつまらない仕事でも同僚やお客さんのことを好きになれるなら続けていける。そして、僕に自己実現の欲求があるとするなら、それは大きいプロジェクトに関わるとか、大きい金額を動かすとかではない。自分が仕事で関わる人の役に立てることがモチベーションになるのだと思う。

この時期の希望は、長期インターン先の人たちがとにかく優しくしてくれたことと、文章を書く仕事を多く回してくれるようになったことだ。僕からもマーケティングを好きになれないことは正直に言っていたし、僕が言い出す前に社員さんは察していたようにも思う。プレスリリースを書いたり、コラム、インタビュー記事を書いたり、見積書を作るという仕事が中心になってきたけれど、おかげで楽しくインターンを続けることができた。

9-11月

サマーインターンは前述の一社だけだったので、就活の予定は一旦全てなくなった。サークルもしていないし、バイトとインターンは週に1日ずつしか行っていなかったので、当然暇になる。早期選考とか、秋冬インターンなんて言葉も聞こえ始めてくる。

でも、僕はここで立ち止まる選択をした。就活関連のことをなにもせず、なにも考えず、ただただ暇を謳歌する。暇だからといって遊び回ることもせず、大学に行って家に帰って、自炊して本を読んで過ごす。たまに恋人と過ごし、たまに友人と遊ぶ。日々の記録を、noteに残す。僕には疲れた心の回復が必要だったし、規則正しくストレスのない生活は十分に僕を癒してくれた。

暇になると、いろいろな考えが自然と浮かんでくるし、昔のことも思い出す。僕は昔から、人の人生はその人が決めるのではなく、もっと大きな何かによって規定されていると考えていて、だからこそ村上春樹が好きなのだった。そして、僕は今までふとした時に会うべき人に出会って、その人たちにそっと背中を押してもらってきたこと。流れに逆らって必死に泳ぐのではなく、流れに飲み込まれるのでもなく、流れに身を任せて生きてきたこと。ずっと動きっぱなしではなく、合間合間に休息が必要なこと。「焦りを貯める」勇気を持っていること。

ああ、僕という人間は、こうして基本的にはとくに意味もなく、でも否応なく端末的なエゴを抱えて、生きとしいける多くの非合理で微小で雑多なものの一つとしてここにあるのだ。

村上春樹、『スプートニクの恋人』

胸を張って自分の感覚を信頼できるようになるまで、徹底的に休もう。誰かに出会って、ああそろそろかもなって思える時まで、焦りの貯め終わりを実感する時まで休もうと決めた。

最近

つい最近まで、休みを決め込んできた。そんなある日、長期インターン先で社員の方と話している時、ちょっと自分が前に進むイメージが湧いてきた気がした。

その方はこう言ってくれた。「君は自分の人生を自分で判断できる人だと思うんですよ。多くの人は自分の理想が唯一の正解だと信じ込んでそこに向かっていくけど、その理想はほとんどの場合、他の誰かや社会に設定された幻のゴールに過ぎない。でも君は、どの道を選んでも正解なんてない、ただ死ぬまでの人生を楽しんで生きていくだけだと心から思えているみたいだから、僕は安心して君の判断を尊重できる。」

この言葉を聞いて、「ああ、そろそろかな」という言葉が自然と浮かんできた。よく考えてみたら、僕は自分の素直な気持ちに従って就活をしたことがないんだから、就活に絶望するのはまだ早いかもしれない。


もちろんしばらくしたら、また焦りをためるフェーズに逆戻りするかもしれない。でもたとえそうなったとしても、以前は嘘をつくように、何かに追われるように就活していたのが、自分の感覚を信頼して就活できるようになった。それだけでも大きな進歩だ。

今なら、これまでの就活のなにが悪かったかがわかる。数字に囚われ過ぎていたのだ。年収もそう、年間休日もそう、そしてマーケティングや企画という仕事は、良くも悪くも一人のお客さんではなく、市場という単位で動くし、日々数字がつきまとう。

今度は「人」を軸にして考えてみたい。言ってしまえば、仕事なんてなんでもいいけど、人を人として見る会社がいい。お客さんを数字じゃなくてその人として見たいし、社内の人も「こんなに仕事ができる何歳の何年目の偏差値〇〇の大学の人」じゃなくてその人として見たい。福利厚生だってそうだ。有給取得率や残業時間みたいな数字が良かったからといって、その会社が人を人として見ているとは限らない。よく言う「ホワイト企業」は、ただの数字の組み合わせに過ぎない。

自分のことも数字じゃなくて人として見たい。何者でもないベースの自分を愛していたい。その上で関わる人の役に立てたら嬉しい。綺麗事にしか思えなかったこんな考えが、今ならスッと腑に落ちる。


以上、就活についての振り返りとこれからについてでした。長くなってしまいましたが、これからもあたたかく見守っていただけると嬉しいです。


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