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「めんどくさい」に従う生き方

大学生になりたての頃、周りの人との睡眠習慣の違いに悩んでいた。僕はもともと朝型人間で、10時に寝て6時に起きるのが理想なのだが、大学生がそんな生活をしていては遊びにも行けないし、サークルにも行けないし、バイトもできない。そう思い込んでいた。

当時の僕は上京したばっかりで、周りに知り合いは一人もいなかった。だからできるだけ周りに馴染もうと、夜更かしの練習を始めた。ゲームしたり、ひたすら動画見たり、小説を読んだりしてがんばって時間を引き延ばしても、1時過ぎには時計と睨めっこする羽目になる。もう何していいのかわからなくなった。

そんな努力を数ヶ月続けたある日、急に「めんどくさい」という感情が胸を埋め尽くした。少ないながら友人ができたり、夜に活動しないサークルに入ったことで孤立感も薄らいでいた。

その日以来、僕は夜更かしをやめた。「夜更かしの努力」の反動なのか、今度は朝6時からのバイトをはじめ、今でも続いている(さすがに最近は7、8時からの勤務にしているけど)。



今になって思うと、これは僕の人生を象徴するエピソードではないかと思う。

僕は今まで「熱中」ということができなかった。「これがやりたい!」と強く思って努力するのではなく、周りの人の言うこと、社会的に求められていることを受け入れて生きてきた。

では流されてばかりで自我がないかというと、そんなことはない。むしろ心の中では、溢れんばかりの思考や感情がぐるぐると渦巻いているのだが、ぐるぐるするばかりで普段は表に出ない。

でも時折、自分の心をやけにざわつかせるものに出会う。意識の淵でぐるぐるしていた思考や感情が一気に溢れ出し、拒否反応を起こす。その瞬間、「めんどくさい」と言う感情が芽生える。

僕はやりたいこととか熱中するほど好きなことはわからないけれど、合わないものや苦手なものは「めんどくさい」という形でわかる。これまでも一旦周りに流されてみて、めんどくさいものを切り捨てていって、少しずつ自分を確立してきた。



自分のこんな性格を自覚しているから、僕は「めんどくさい」という感情がどれくらい溜まっているのかを意識的にチェックするようにしている。急にめんどくささが爆発してしまうと、周りに迷惑をかけるし僕も疲れる。

例えば、料理をするのは好きだけど、レシピを見て大さじ小さじでちまちま量を計るのはめんどくさい。文章を書くことは好きだけど、本筋じゃない情景描写に命をかけるのはめんどくさい。社会に出たくないわけじゃないけど、入るつもりもない会社の面接を受けるのはめんどくさい。

結果的に、僕はいろいろ雑だ。言い換えれば、ある種の丁寧さが欠けている。意識的にこだわり切らないようにしないと、正気を保てないのだ。


これからもめんどくさいことなんて山のようにあって、満員電車とか、競争とか、そのほかの気に食わないあれこれを切り捨てながら生きていくことになるのだろう。なんならそう遠くない将来、「東京」を切り捨てそうな予感だってしている。

でも、致命的な傷を負わないために擦り傷を甘んじて受け入れよう。そうやって少しずつ、自然体の自分を見つけていくのだ。


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