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理解できないことの正しさ

長期インターン先に、大企業をうつ病で退職した経験を持つ人がいる。


その人は基本的に褒めない。逆に怒りもしない。淡々と改善点を挙げてくるタイプだ。僕はあまり気にしていないのだけど、別のインターン生の女の子は、褒めずに修正だけさせてくるその人のことが苦手だそうだ。彼女は言う。「一言くらい褒めるか、むしろ全然ダメだって言ってくれればいいのに」

でも改めてその社員さんのことを観察してみると、異常に気遣いが上手いことに気づく。社内の人が少しでも鼻声だったらそれにいち早く気が付くし、ミスがあって何となく誰かを責める雰囲気になった時には「そこは〇〇さんが担当する前から問題になってたんですよね。ずっと自分も放置しちゃってて」とすかさずフォローに回る。

彼はきっと、とても優しい人、優しすぎる人なのだと思う。だからこそ、インターン生が出してくる中途半端な出来の資料を見て、自分の心に嘘ついて褒めることもできないし、インターン生の頑張りを見ているからこそ怒ることもできない。その結果が、淡々と改善点を教えるという態度なのだろう。前職を辞めることになったのも、その優しさが彼を苦しめてしまったのかなと想像してしまう。




彼がとても優しい人だとすると、自分はどんな人なのだろう。人から見る自分と自分が考える自分はもちろん違うけど、僕が思う僕の特徴は、ベースがちょっと病んでるというか、ちょっと世界に絶望している節があることだ。だからこそ、「人間はすぐ何かに吹き飛ばされてしまうちっぽけな存在だから、夢とか理想とかを簡単に言いたくない」なんてことを思う。

でも僕は、自分のそんな性格が嫌いではなくて、むしろ好きだ。あくまで「ちょっと」病んでいて、「ちょっと」絶望しているだけなので、その「ちょっと」のラインより気持ちが下がることはない。逆に、何かの拍子(人の体験談を聞いたり、焦って何かに縋りたくなった時)には気持ちが上がって、ちょっと希望に満ちたりもする。でも上がった気持ちは結局安定せずに終わり、またちょい病み、ちょい絶望に逆戻りする。そこが一番居心地が良いのだろう、きっと。




そんな僕が好きな人(男女問わず)の特徴がある。それは、「この人の言うことには従っておいた方がいい、信じておいた方がいい」と僕に思わせてくれる人だ。僕はけっこう傲慢なタイプで、人のアドバイスを聞くのがとにかく苦手だ。だから勉強も塾や家庭教師に頼らず独学でやってきたし、サークルを辞めるとか専攻を決めるとか重要な決断をする時にも、人の意見をあまり聞かない。

そんな僕が、「この人の言うことは、ちょっと筋が通ってないけど最終的に正しいんだろうな」と直感的に感じる人がいる。僕が「こうこうこういう理由でこうだからこうした方がいい」と頭の中で思っていることを、「いやそれはこうだ!」といとも簡単にぶち破ってくる人。その人たちの主張は、必ずしも論理的ではないし、何なら本人たちも理由がわからない時もある。でも、頭で理解できることよりも頭で理解できないことの方が正しいことは往々にしてある。

そう考えると、インターン先の社員さんも、きっと「頭で理解できないこと」を体現している人なのかもしれない。彼の淡々とした態度は、必ずしも論理的に説明できない優しさから生まれている。そして僕自身も、絶望と希望の狭間で「ちょっと」という微妙な距離感を保ちながら生きている。この揺れ動きこそが、理屈では割り切れない人間らしさなのだろう。頭で理解しようとすることを、時にはそっと手放してみる。そこに、新しい理解が開けるのかもしれない。



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