嗤ふ罪 嗤ふ悪魔 憐れむ神
最近はこういった想いを抱くことも少なくなりましたが、今でもたまに苛烈なまでに「嗤(わら)われている」と感じることがあります。世からか、己からか、それもありましょうけど、私が思うところでは、それは世より、己よりくる「罪」を責め立て、「告発」する悪魔からくる「悪い想い」なので、そういう時は主イエスの御名で「退け!」と祈るしかないですね。
——Lyrics——
いと卑俗なる我が罪を 嗤(わら)ふ悪魔の声ぞする
「汝も隣(ひと)を嗤はんや
お澄まし顔でその腹に
劣る者をば詰め込んで!
優(すぐ)るる者に物怖じし
劣る者には愛ぞ無き!
されば何以て隣(ひと)見しに
優る劣るを定むるか!
汝はさしも優るるか!
己を何と心得る!
衒学趣味のスノッブを
腹でぐつぐつ煮込むのみ!
さりとて語る拙かる
竜頭蛇尾の物言ひは
聴くも無残の訥弁(とつべん)ぞ!」
かかるごときに我が仇(あだ)は 嗤ふ我をば嗤ひたり!
嗤ふ我をば我が隣(ひと)も 嗤ひたりてもさもあらん!
されど我が神我が罪を 憐れみ給ひ嗤はざり!
罪を犯せる我らをば 憐れみ給へど嗤はざり!
隣(ひと)をば嗤ふ我が罪よ! 我が罪嗤ふ悪魔聴け!
刹那の間退けよ! イエスの御名で我命ず!