
第6回 短歌読書会――穂村弘『短歌という爆弾』小学館文庫.
「2 設置法」は短歌について、というよりは短歌の実践方法について、なので飛ばします。
「3 構造図」は、節ごとの主張をまとめ、自分たちなりに解釈していきます。
特に断りがない場合は引用先は全て、穂村弘『短歌という爆弾』小学館文庫です。
3 構造図――衝撃と感動はどこからやってくるのか
麦わら帽子のへこみ――共感と驚異 p.140
短歌が人を感動させるために必要な要素:共感と驚異
共感 「そういうことってある」「その気持ちわかる」
思い出の一つのようでそのままにしておく麦わら帽子のへこみ
驚異 「いままでみたこともない」「なんて不思議なんだ」
砂浜に二人で埋めた飛行機の折れた翼を忘れないでね
共感も驚異もクビレとなる部分が重要
言葉が驚異の感覚を通過する=クビレがある=心を揺さぶるもの
cf)自分自身の体験とはかけ離れた一瞬の衝撃、読者の胸を締めつけるような感傷性
嘘つきはどらえもんのはじまり――<私>の補強 p.151
ハーブティーにハーブ煮えつつ春の夜の嘘つきはどらえもんのはじまり
自意識の強さは自我の強さに反比例
健やかで強い自我は自らを過剰に意識する必要がない
自分自身の言葉で自己を規定する強さを持たない私は、他者の存在や外部の言葉によってなんとか<私>を紹介したかった
自分の言葉で自己を規定できないので、他人の言葉で自己を規定する。
=「自らを語るのに他者の言葉を必要とする自我のあり方」p.153<私>の補強作用
言葉の自由さを様々な角度から縛ることで、逆に定型内部での表現主体の自由なふるまいを可能とする
→一人称性:短歌の一人称は基本的に自分であること
→定量性:31音前後という音の量に縛りがあること
→定型性:57577という型があること
→歴史性:短歌が歴史的背景をもつ伝統詩であることにより、自分が創る一首が相対化されること
氷河に遺体がねむる――<遥かな他者>と<われ> p.164
人皆の箱根伊香保と遊ぶ日を庵にこもりて蝿殺すわれは
われらウェイトトレーニングする日曜日はるかなる氷河に遺体がねむる
このように様々な次元で短歌の<われ>が拡張される一方で、<遥かな他者>との対比によって正岡子規が実感したような<われ>は、生のかけがえのなさという一点において、基本的には全く変化することなく百年という時間を生き延びて来たことになる。
<われ>のかけがえのなさ=「自己の生の一回性」と「交換不可能性」 p.165
上記2首を<われ>と<遥かな他者>に当てはめてみる:
<われ>われ・われら←――――――――→<遥かな他者>人皆・遺体
P.S. 皆人:その場にいる全員、人皆:いる場所に関わらず全員・人間
サラダより温野菜<本当のこと>の力 p.172
その川の赤や青その川の既視感そのことを考えていて死にそこなった
見た瞬間にわかってしまう、コレハホントウノコトダという強烈な感じ
生の一回性、すなわちそのかけがえのなさこそは、ひとりひとりの体験や価値観の違いを超えて存在する唯一のものである。一首の歌のなかに読者が<本当のこと>の輝きをみるとき、その真の光源とは読み手自身の生のかけがえのなさにほかならない。
「人生は一回限り」という<本当のこと>を歌から得るとき、読み手は緊迫感や切実さ、孤独を実感する。
=一回性というリアリティの要素が歌の力になる。
美男美女美女美女美男たち――非常事態の詩 p.179
ギリシャ悲劇の野外劇場雨となり美男美女美女美女美男たち
「恋愛、死、青春」など=「人間にとっての非常事態」p.179
心理的に特殊な状況下で生み出された言葉には、作者自身にとっても思いがけない何かが自然に含まれていることが多く、それが一首の歌に輝きを与えるのである。
心が凪いでいない/ざわついているとき、通常では切り取らないような風景、選び取らないような言葉などを歌に込める。
→歌の輝きになる。
感受したものが作者の内的な生命感と結びついて表現されている
恋や死などの非日常はお酒のようなもので、一瞬日常を揺るがす。
=「大過なく生き延びる」ための麻酔がかかった状態から一瞬目覚める例1)お酒を飲んだとき、性格が変わったようになる人がいるが、その性格もその人の一部。お酒によって、理性が緩み、普段は押し殺している性格が立ち現れているだけ。
例2)火事場の馬鹿力
鋭きものはいのちあぶなし――生命のなかの反<生命>性 p.188
卓上の逆光線にころがして卵と遊ぶわれにふるるな
「一見相容れないようにみえるふたつの物の両立」p.188
→オクシモロンを思い出した(コト)
※オクシモロン(oxymoron, 撞着語法):意味が矛盾する二つの言葉を並べ、固定された視点を撹乱する語法。言い回しに効果を与える
→矛盾あるいは共通がない組み合わせを使うことで、歌に効果を与えている(ひな)生命は反<生命>性を抱えている。
生命とは、それ自身の内部に本質的な矛盾要素、すなわち反<生命>性を抱え込んだ危険なものではないか、ということである。反<生命>とは、すなわち死の別名である。
→村上春樹『ノルウェイの森』の一節を思い出した(コト)
死は生の対極としてではなく、その一部として存在している。
=死は生に内包されており、死があるからこそ生がある。
生と死という一見対極に見えるものが一首のなかに含まれることで歌に力を与えている。
次回
6節(pp.195-244)やります。