フィットネスに通い始めた女の話
生まれてこのかた運動ができた試しがない。
母は生まれた赤ん坊の逞しい太ももを見て「将来は陸上選手になるにちがいない」と大層喜んだらしい。
その割に幼い頃からスポーツをさせなかったというのが母のよく分からないポイントなのではあるが、母はとにかく、幼稚園の運動会での娘のかけっこに期待をした。
堂々のビリである。
走れず泳げず踊れない娘に危機感を抱いた母は問答無用で体操教室に娘をブチ込むのであるが、跳び箱三段にすら恐怖におののく娘は、着々と運動嫌いの名前を欲しいままにし、ピアノや読書を好み、典型的なインドアになってしまった。
加えて「我が家には白系ロシアの血が流れている」と大ボラを吹く祖母の遺伝子をそのまま受け継いだ私は、幼い頃から太くがっしりとした体型に悩まされた。
ブスなデブは弄られる。
中学校生活3年間徹底的にクラスの男の子に落とされた自己肯定感は遂に地を這い、現在の捻くれ者へと進化を遂げた。
手足が太く、全体的にむちむちしているこの体がずっとコンプレックスなのだ。自分の体を好きになれたことが一度もない。細く今にも折れてしまいそうな女の子がずっとずっと羨ましかった。
数々のダイエットを繰り返し、荒業で5kg痩せては5kg太るといういたちごっこを繰り返してきた私だが、遂に就職活動という人生のストレスフルコンボを浴びたことにより、人生最大重量になってしまった。
これはまずい。
今までの比にならないくらいにまずい。
少しでも運動をしようと地下鉄の階段をぜえぜえと登っていると、フィットネスクラブの看板が目に入った。
ピチピチのレギンスにスポーツブラ。
細く引き締まったウエストを惜しげも無く晒した八頭身の美女がストレッチをしている看板。
翌日には見学の予約を入れていた。
無駄に行動力だけはあるのである。
突如店頭に現れたミシュラン君にも、スタッフさんは優しかった。同い年だという彼女はにこにこと施設を案内する。お年寄りが多い時間帯なのか、私に輪をかけたオールド・ミシュラン君達が思い思いに運動をしている。
「デブが来たわ」「どうせ続かないのに」と陰湿な眼差しを前髪をかきあげた八頭身美女達に受ける覚悟をしていた私は、オールド・ミシュラン君達に思いがけず勇気を貰った。
これなら続けられる!私も半年後にはブリジット・バルドーよ!と店を出た途端、厄介なもので、元来のネガティブが戻ってくる。
続けられるかしら、高いお金払って効果があるのかしら、いやでも高いお金って言うけど月会費より高い舞台のチケットはばんばん取るじゃない、それに運動すればポジティブになれるって広瀬アリスがインタビューで言ってたわ、でも私のまわりの運動している女達は総じてこじらせネガティブクソ女だらけじゃない…
結局、見学から入会まで4ヶ月掛かった。
4ヶ月あればブリジット・バルドーになれたはずである。
これまた同い年の爽やかなイケメンに入会の対応をされている間中、心の中で「デブが来たって思ってんだろ…続かないって思ってんだろ…なんとか言えよ…」と呪詛を吐いた。とにかく性格が悪い。
契約書を手に店を出て、明日から通っちゃうもんね!と意気込んだ私を、卒論指導が手ぐすねを引いて待っていた。世は無常なのである。
なんとか卒論指導をくぐり抜け、これから毎日通っちゃうもんね!と気を取り直すと、今度は台風に女の子の日と、外に出られない日々が続く。
もうやめようかな。
とりあえず月に3回は行けば元が取れる仕組みになっているのだから月末に駆け込もうと、ファーストサポートの予約を入れることにする。
会員になったばかりの右も左も分からない私のような人間を、手取り足取り導いてくれるというなんとも優しいシステムである。入会時にイケメンに「今予約をお取りすることも出来ますが、お忙しい方が多いので後日電話予約でも構いませんよ」と言われ、あ、じゃあ電話します、と言っていたことを思い出した。
とにかく形からだ。
予約を入れる前にスポーツウェアやらスポーツブラやら必要なものを一式ネットで注文した(運動とは無縁の生活を送ってきたため、最低限のものすら揃っていないのである)。
これでファーストサポートからは逃げられない。
ついでにこの勢いでちゃんと通うようになりたい。
意を決して電話予約をする。
ファーストサポートの予約をした日は入会から2週間過ぎた日だった。やる気はあるのか。
「当日は○○という男性のスタッフが担当いたします」
次回、初めてのフィットネスで男性スタッフに当たり今から緊張を隠せないネガティブこじらせクソ女VSネガティブこじらせクソ女が来るとは思っていない男性スタッフの幕開けである。
ブリジット・バルドーになれる日は来るのだろうか。