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私にとって“表現の自由”と

「表現の自由」
私が30歳の誕生日を目前に描いた20代最後の作品


私にとって表現の自由とは、十代の頃から向き合ってきた人生を通してのテーマの一つです。

現在行われている、2022年の参議院選挙では表現の自由を掲げる候補が複数おり話題になっています。
そこで、改めて表現の自由についての記事を投稿しようかと思います。
(数年前にブログで投稿した記事の追記版になりますが、ご一読いただけたら幸いです)


・表現規制について考えるようになったきっかけ

前述の通り、私は創作における”表現の自由”というものに、非常にこだわりとプライドを持っています。

「創作表現においてもっとも大切なのは作者の意思であり、作者がこうしたいと思うならどんな過激な表現でも容認されるべきだ」というのが基本的なスタンスです(当然ですが、誰かへの中傷行為は除く)。

二言目には表現の自由がと出てくるので、周囲から内心で面倒臭いなと思われていることも多いでしょう。

なぜ、こんなにこだわるか、それはこの問題に直面することが自分の人生に何度もあり、理不尽な思いをしたこともたくさんあったからです。

最初の体験は中学三年生のとき「バトル・ロワイアル」が流行っていた時期。
当時、原作小説を読んではまっていた私は映画版の公開を楽しみにしていました。
しかし、内容が過激だという批判があり、国会で取り上げられられる程の社会問題に。
R-15指定となり観ることができなくなってしまいました。

私はひどく落胆すると共に「製作者は、主人公と同世代の中学三年生に観て欲しいと言っているのに、中学生が観れないのはおかしいんじゃないか?」と疑問を抱きました。ただ、この時は表現規制などについて深く考えるまでには至りませんでしたが。

ちなみにこの映画、翌年「卒業おめでとう」と、観れなかった当時の中学三年生に向けて特別版の上映があり、粋な計らいに感動しました。

※大人になってから再視聴して改めて思いましたが、これは十代の頃、できれば主人公たちと同じ中学三年生の時に見ておくべき作品です。

なぜなら、とてもよくできた映画で、十代の頃は生徒たちに、大人になってから見ると大人サイドに感情移入して見れるようになっているので。

私はこの歳になると、北野武演じる教師の方の目線で見るようになってしまいました。大人になっちゃいましたよ……。
当時観てはまった人は大人になってからもう一度観て見ることをお勧めします。

生徒たちに感情移入して見れるのは同年代の時だけ。
だから子供こそ見ておくべき映画です。


・高校時代、表現規制の実体験

表現の自由への意識が決定的となったのは高校生の時。
中学から高校にかけて小林よしのり氏の「ゴーマニズム宣言」にはまっていた時期がありました。

(小林よしのり氏、今は色々言われてますが昔は、特に表現問題についてはすごく良いこと言ってるんですよ……)

その中で漫画における表現での自主規制について扱った回があったのです。
差別表現だったり、エロだったり、言葉狩りだったり、皇室関係だったり……出版・テレビ等の業界には、流れや文脈とか関係なく”描いてはいけないもの”が存在する。その不条理さについて。

「ちゃんと内容を見てテーマを汲み取れば何者かを傷つけたり賤しめたりするために描いたのではないとわかるはずじゃないか!」

「内容や文脈に関係なく差別語だからいかんこの字が差別字だなどと言ってくるバカがいたら編集者はちゃんと闘え!」

「上がこわい 抗議がこわい めんどーはイヤだ …わかるがそこをしっかり覚醒して脳を始動させてくれ!」
(ゴーマニズム宣言 第63章「表現の不自由」より)


試し読みができるので、表現問題について関わる全ての人に読んでもらいたい内容です↓


これを読んだときは「世の中にはこんなバカバカしいものがあるんだな」と感じた程度でした。

その後、高校で図書委員になり、図書室にある中でお勧め本の紹介でゴーマニズム宣言の紹介文を書いたのです。
「差別論スペシャル」という、差別問題に特化した本で、上記の表現規制問題についても突っ込んで扱った内容でした。

被差別部落の問題が中心で、学校の同和教育の授業があった時期だったので、それと併せて「漫画という形で学校の授業よりわかりやすい、学校で教わらない差別の本質がわかる。なんでもかんでも差別というのはおかしい」という内容を書きました。
また人権教育の中で差別用語についての話がありそれに対してクラス内議論で上記の自主規制問題を例に反論をぶつけたことがあったのですが、担任にうやむやにされてしまったので、改めてその時の主張も載せました。
図書の先生に「これはすごく面白いね」と言ってもらい、図書委員のホームページにも掲載してもらいました。

ところが、それに対して人権教育の担当教員が激怒したらしく、ホームページから削除されることに。

小林よしのり氏が語った表現の不自由を自ら体験することとなったのです。これが私にとって最初の表現規制体験でした。



・映画学校で出逢ったドキュメンタリー

高校卒業後、映像の専門学校に進学。
一年生の時に授業で観せられたドキュメンタリーに「放送禁止歌」というものがありました。
テレビ放送における表現規制について扱った内容で、放送禁止となった楽曲、なぜそれが放送できないの、誰が規制しているのか。

その中で、やはり部落解放同盟という存在が出てきます。部落について扱った歌は彼らから抗議があるからそれを恐れてテレビで流せないと。
今でもそうかもしれませんが、今よりも更に被差別部落が圧倒的タブーだった時代。このドキュメンタリーの凄いところはそこで部落解放同盟本部に出向いて、役員に直接、取材をします。
すると、解放同盟側としては「自分たちは頭ごなしに規制を求める抗議はしていない。もし問題があればちゃんと話し合う」と。

このドキュメンタリーは最後、「規制しているのは誰?」という問いに対し鏡を写して「お前だ」と返します。
表現規制の問題は、抗議する側ではなく、抗議を恐れて自主規制してしまう製作者側にある。
この「放送禁止歌」は上記の「ゴーマニズム宣言」と共に、私の”表現の自由”というものへのスタンスを決定付けることとなりました。


※ちなみにこの「放送禁止歌」を撮った森監督はここから十年以上経った後に、米子の映画イベントに来られ、少しですがお話することができました。
これだけで米子の映画周りに関わっててよかったと思えましたね……。



・世界的タブー、ナチス問題

また、一時期、エアガンや軍服にはまっていた時期があったのですが、その時、好きだったのがドイツ軍、ナチスです。
当然といえば当然ですが、ナチスが好きって言うと苦言をていされるんですよ。専門学校の授業でナチスが出てくるシナリオを書いたら講師に叱られたり(今思い返すと専門学校の講師はかなり左翼寄りが多かった)。

ナチスが思想的に悪なことはわかる、けども、それとナチスがカッコいいというのは別問題だろう、私はそう思うんですよ。
ナチスの軍服はカッコいい、これは当たり前なんです、大衆の支持を得るためにそうデザインしてあるのだから。
ハリウッド映画でも、日本の漫画でも、明らかにナチスをモデルにしたカッコいい悪役は腐るほど出てくるし人気もある。みんなナチス大好きなんですよ、ほんとは。でもナチスをカッコいいって言うと批判される、おかしな話。

「ナチスの思想は悪だ。でもそれはそれとしてナチスの軍服やハーケンクロイツはカッコいい」

それでいいじゃないか、私はそう思います。政治と文化はわけて考える、それだけの話。なぜ戦後何十年もたってそれができないのかわかりません。


※昔の映画とかだと、ナチスはどんな悪役にしてもいい、フリー素材みたいな扱いだったのに、どうしてこんなに厳しくなってしまったのか……。
最近だと、例え悪役でもアニメとかだとハーケンクロイツは修正されてることが多いです。
このままだと「スター・ウォーズ」とか「インディジョーンズ」みたいな、ナチス風の悪役が出てくる昔の名作映画とかも放送できなくなるかもしれません。

少し前に、アイドルグループがハロウィンにナチス風(ナチスじゃなく、単に黒い軍服ですよ……)の衣装を着て炎上したりしましたし。ハロウィンって、悪魔とか悪霊の仮装をするイベントですよね? ナチスをそのカテゴリーに入れるのは、平和主義者的にも良いことではと個人的には思ったり。



・R18文化と表現、そして炎上経験

専門学校を卒業してからは、俳優事務所に所属したり、個人で映画を撮ったり、同人ゲームを作ったりしていました。

この時のバイト先にSMショーをやっている娘がいました。
グループで遊んだりする友達になって、流れで皆でショーを見に行くことになりましたが……感動しましたね。
凄い、アートでありエンターテイメント。

また、別の知り合いが主催するイベントでストリップショーも見ました。これも芸術的で感動しました。

正直、そういう世界と無縁だった私は見るまで軽く偏見がありました、しかしそんな自分の見識の狭さが恥ずかしくなりました
この経験が後にR-18のイベントをやろうという気持ちへと繋がります。

その後、紆余曲折を経て地元、鳥取県に戻ることになります。
地元が映画制作やイベント業に力を入れており、大阪で漠然と個人で活動しているより、自分のやりたいことをするのに適していると思ったからです。

バイトとしてイベント会社に入ったのですが、そのとき、イベント団体の偉い人同士が「こういう業界は、自主規制や暗黙のルールがあるから、そういうのをとっぱらって、自由にイベントをしたいね。やっちゃいけないのは法律違反だけ、それ以外は自由に楽しむ」という話をしていました。
私はそれを聞いて、この人たちはわかっている、ここが私の求めることができる場所だ、そう思い社員になりました。


私自身、新聞に取り上げていただいたりして、以前より名前が知られるようになったからかもしれませんが、私のようなスタンスでの表現活動に批判をする人も出てきました。
会ったこともない人が延々と私の中傷をネットでしていたことなどが後に発覚し戦慄することも。恐ろしい……。

大きな事件となったのは、私が関わったイベント内でR-18の展示をしたときです。
アダルトな企画に対して批判が寄せられ、違法な猥褻展示をしているといった嘘八百のデマ、中傷が多数飛び交い、新聞にまで取り上げられました。そして主催が謝罪をする形に。当時、Yahooのトップニュースにも載りましたね。
私は毅然として、いわれのないことには反論し、嘘八百の中傷に対しては逆に訴えるくらいでいれば良いと思いますし、そう言ったのですが、偉い人の判断は違いました。

わかりますよ、大人の判断としては正しいと思います。本来、あれだけ騒ぎになれば企画自体が中止にされてもおかしくなかったし、それを展示の一部修正のみで継続させてくれたのだから、かなりこちらに配慮してくれたとは思います。県のお偉方が来たとき直接、私の考えをぶつけましたが否定することなく、真剣に聞いてくれましたし。

それでも、やっぱり悔しかったです。
(今でも勘違いしている人がたまにいますが、年齢規制なくアダルトな展示をしたとか、違法な猥褻物を掲示していたというのは全て嘘です。勘違いで警察に通報した人がいたらしく、それで警察から聞き込みはありましたが、最終的には違法性無しと判断されました。だから中止せずに継続できたのです。それを警察から聞き込みがあったという部分だけとりあげ、違法行為で警察沙汰だと騒ぎ立ててる人がいるわけです)。

ちなみにこの回のイベント、このR-18展示の件が大きすぎて、忘れられていますが他にも色々ありました。
「武器人間」というスプラッター映画を上映したり、ナチスのコスプレOKしたり、自由にやるという言葉を信じて色んなことやってみましたが、騒ぎになったのを受けて、翌年からは全部アウトにされました。

※数年後、炎上した事件について語ったラジオ。そろそろいいだろうと、あの頃は言えなかった詳細まで。



・自由な表現の場を求めて

私だけでなく、こういうことなかれ主義の自主規制に泣かされた人はたくさん知っています。
パフォーマンスが奇抜だからと禁止にされたり、展示に対し不気味だからと撤去させられたり。

お客さんからの評価っていうのは関係無し、どれだけお客さんに受けていてもごく一部からでも批判があればアウト。

私はお客さんを呼んで評価されたら文句はないだろう、結果で見せつけると頑張り、会社で数字の上でも一番業績をあげた、リピーターにも繋げた、でもそういうのは関係なかった、むしろやることが大きくなればなるほど、当時の責任者に目の敵にされていました。

結局、気にしてるのはお客さんではなく、違うところからの抗議、クレーム。大人として、社会人としては正しいんだと思いますよ。
でもエンターテイメントに携わる人間として、文化・芸術に携わる人間としてはどうなのか?


自分の理想とする場は自分で作るしかない、そう思って始めたのが「妖力堂」というお店でした。

喫茶店内にギャラリーとイベントスペースを合わせた場所。
当時、活動に理解を示してくれた方のご支援で店舗を貸していただけました。


ここでは、自主規制なく自由な表現が許される、誰にも文句は言わせない、そういう場として。

3年半ほど経営をしましたが、色々な事情が重なり現在は閉店。
しかし、こういう場はいずれまた作りたいと思っています。
そして、その後、私は独立起業して映像制作や表現活動をしています。



私はイベントの相談をよくされます。それは私がイベンターや技術屋として優れているからではないと思います。私よりもスキルのある人はたくさんいます。
ただ、私はどんな企画でも、過激だからとか、抗議があるからといって否定はしません。発案者のやりたいことを汲んで、実現の為に真面目に考えます。これが理由だと思います。

・20代最後の作品「表現の自由」

これは私が30歳の誕生日を目前に、20代最後の作品として書いた絵です。

タイトルはまさしく
「表現の自由」

これまで語ってきた、表現の自由という人生を通してのテーマを絵にしました。

【絵の解説】
表現の自由をテーマとしつつ、自分の人生において重要だったり、好きなものを盛り込みました。

軍服、ナチス、旭日旗、エロス、グロテスクといった物議をかもしやすい、規制されやすいものを中心に。

両サイドの花、薔薇と百合は同性愛を表しています。薔薇に口が付いているのはビオランテをイメージ。

私の価値観を変えてくれたSMショーを表す緊縛された女性。

ゲバ文字で「表現ノ自由ヲ守レ」と書かれた看板。私は親が自衛官だったので、人より右寄りの考えですが、全共闘などのあの雰囲気も嫌いじゃないです。

背景は夜側はこれまで描いてきたイラスト、昼側は映像作品のキャプチャを散りばめています。


これは上記の妖力堂時代に描いた絵ですが、独立後「タニヤマ・キネマ」のメインビジュアルとして使用しています。


タニヤマ・キネマ、スタッフジャケット。
イベントや撮影での戦闘服です。

この絵ですが、実は外国人や女性からよい評価をいただけることが多いです。

真剣に取り組めば作品のテーマ、想いといったものは、ちゃんと伝わる。そういう希望が持てます。

一方で、おそらくこの絵をアップしたことが原因でSNSを凍結されたことも何度かあります(問い合わせても返答がなかったので正確な理由はわかりませんが)。
文脈、テーマ、理由、そういったものが一切通じず問答無用で規制をされる場面は今でもたくさんあります。

だからこそ、一人一人が意識して、表現の自由を守るために、戦っていかないといけないと思います。



これからポリコレや規制が強くなっていく世の中で、どこまで創作に生き、表現の自由を貫けるか?

無論、死ぬまで。




長い記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございます。
現在、特撮映画を制作しています。応援していただけたら嬉しいです。


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