死ななきゃいいのか?
どうということもない。今日もなんとなく生きている。
魂込めて生きてやるぜ!と言い切れるほど大したことはしていないが、
自分を貶めたり卑屈になったりしているわけでもないので、
これでいいのだろう。
たぶん。
他人様に迷惑をかけなければどう生きても勝手らしい。
どうもその言葉が正面から信じられない。
都合の良いお題目、もしくは大義名分にしか聞こえない。
それで、僕の生真面目な自分の部分が顔を出し、型にはまった生き方を求めようとしてくる。
が、自分でやっておいて何なのだが、型にはまった生き方は、まったくもって不向きな生き方である。
実際メンタルやってるわけだし。
ナンボか生きてきた中で、うまくいっている時の自分がどうであったかを考えると、
まあ大概意味不明なことをしている(突然の新潟移住とか)。
それは事実。
それでいいのだ。きっと。
問題はそれをどうカスタマイズするのか。
僕は金の勘定をする。
年末くらいまでは今の会社にいられると思う。
給料は来るだろう。
転職活動はボチボチいっているので、年内には何か決まるのではないかと淡い期待は持っている。
問題は決まらなかった時だ。
失業給付が出ることになるだろうので、1年そこそこくらいはそれでも生きていける。
業務委託で仕事ちょっと受けるくらいだったらハローワークに怒られないだろうか?わからんが。
最悪親に頭下げて借金の一つでもすればいい。
いずれにしても、死にはしない。
死ななきゃいいのか?
死ななきゃいいらしい。
どうにも腑に落ちない。
理屈ではわかっていても心がついて来ない。
理屈を付けたら、マズローの5段階欲求の社会的欲求だとか、社会関係資本のナニガシだとか、いろんな話はできるんだと思うんだけど、
今必要なのはそういう話でなさそうだ。
心から信じられる"生き方"。
人間社会に生きているからには、そういうのが必要なのだと思う。
内容はもう何だっていい。
管理職になって会社バリバリ回すのでもいいだろうし、
地域創生に汗流すのもいいだろう。
子育てに奮闘するのも素敵だ。
酒場で酔って友達作りまくるのも面白い。
必要なのは、「死なないこと」もそうだけど、「生き方」。
そう捉えたら、少し納得できた。
自分に合った生き方の中身がわからないから、問題は何も解決していないんだけどね。
僕は何物にもなれなかった。
後々から調べたら、結構よくある話らしい。
人生のドツボにはまっていたってか。
今からでもなれるだろうか。
何者かに。
これが、自分で納得いく思考に巡り合えた時。
きっと自分の生き方に誇りが持てるようになるんだろうな。
不惑が40歳だというから、あと6年くらいかかると思う。