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私の本

「価値がない本」というものが世の中にある。
そのことを知ったのは、28歳の頃だった。

それまで私は、「本」とは、「知識の塊」で、「本を書く人」は「偉い人」だとばかり思っていたけれど、あの日を境に、「世の中にはくだらない本がゴロゴロしている」ことに気付いてしまった!

ここまではっきり言い切るのは理由がある。

実は私、何をかくそう、「本」を出したことがあるのだ!

自費出版でもkindleでもなく(大手ではなかったけれど)出版社の人から依頼されて出した「本」。一時は、ジュンク堂や紀伊国屋にもありました。

28歳になりたての頃のお話です。

きっかけは、18年前のゴールデンウイークの一日前。
その日はとにかく社長の機嫌が悪かった。頭をかいたり歩き回ったり、言いがかりを付けたりして体中から嫌な気を出しまくっていた。
こんな時は絶対に話しかけてはいけない。
目も合わせてはいけない。

そういえば、まだ私が入社したての頃、ご機嫌の悪い社長のご機嫌を取ってあげようと、お茶を淹れたことがあった。彼の機嫌の悪さは仕事に行き詰まっての事だと知っていたから、なんとか癒してあげたいと思ったのだ。

これが悪かった。
非常に悪かった。

ただ私はお茶を淹れていただけなのに、彼は私を責めた。

「ああああああーーーーーー。君はひどい!ひどい!お茶の葉がかわいそう。熱いー!やめてー!!可愛そう。お茶の葉が!」

そういって責め突如事務所を飛び出した。そして、15分後くらいにケーキを抱えて戻ってきたかと思ったら、
「今からミーティングして。このケーキを食べながらお茶の葉の気持ちを考えて!」
とその日出社していたメンバーを会議室に集め、謎のミーティングを始めたのだ。

すみません。話がだいぶ横道にそれました。

気の毒なお茶の葉の話はさておき、社長の機嫌が悪い日の話に戻ります。

18年前の話です。
とにかくその日も社長は機嫌が悪かった。

私はお茶の葉のことをトラウマに抱えていたので、こういう日は絶対に話しかけない、目も合わせないと心に固く決めていた。

それなのに彼の方が目を合わせてきた。そして、おもむろに言ったのだ。

「本を書いてこい」と。

いや、もしかしたら「書いてきてください」だったかもしれない。

どうやら1年位前に締め切りを迎えていたある本がどうしてもかけず、もう全然どうしても書けないので私に下書きを頼んできたようだった。

無茶ぶりはいつものことだけど、社長命令だから仕方がない。言われたタイトルに従って適当な文字を並べた本の分量になる位のものをゴールデンウィーク中に書き上げて私は提出した。社長には悪いけどものすごく適当に書いた。まるで興味のない分野だったのだから、仕方ないでしょう?

夏の終わり、その文字列は「本」になった。
そして驚いたことに、共著の欄に私の名前も並べられた。
一文字も書かなかった社長がさすがに申し訳ないと思ったらしく、無理やり私の名前を載せたのだ。そこまではなんとなくわかるけれど、筆者の欄に私の名前が掲載されることを知って妬みに震えた副社長の名前も載っていた!副社長は、最後までタイトルも知らなかったのに。

私が「本」を出した(正確には共著)ことは、家族でニュースになった。社外の人からもお祝いの品が届いたりした。実物を手にした時、関係者はみんな浮足立っていた。
けれど私は恥ずかしくて仕方がなかった。「世の中には無駄な本がある」、「価値がない本がいくらでもある」と思った。

私にとって「本」は作者の想いが詰まった大切なものだった。けれど、私たちの「本」には誰の想いも入っていない。想いがまるで籠ってない「本」を創った私は何かの悪事を働いた気分になって落ち込んだ。それは、私が毎日作る書類のような「本」。

「本」を読むとき、私は、作者の心情に想いを馳せる。

その後私が「本」を書くことは、まだ、ない。「本」に籠めるほどの想いを持ち合わせていないから。

でもいつか…。


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