30年前の気持ちに30年後も染まりたい
今日は娘のピアノの日。習い出してから、毎週金曜日の夜は練習。
本当は毎日練習するべきなんだろうけれど、気が付くと金曜日になっている。今は大丈夫だけど、宿題内容が進んできたらアウトだろう…
まだまだ曲と呼べるようなメロディではない練習ばかりだけど、この教本が終わる頃にはどんなものが弾けるようになるのかな、と最後のページを覗いてみる。
あ、この感じ。そういえば私も子どもの頃、自分でよくやっていたのを思い出す。小学生になるかならないの頃から。
最後のページの複雑な音階の譜面を見て「これが弾けるようになるんだ!」という高揚感と「こんなの私に弾けるのかな」と怖気づく気持ちが混ざり合ったマーブル状の気持ちが私を染めた。
ピアノだけじゃない。中学の英検でも合格証を受け取る瞬間を想像したり、受験生時代は勉強がつらくなると1年後の大学生活を夢想した。社会人になってからも。
昔からずっとやってきた、自分の気持ちの整え方。めげそうなとき、少し先の自分を想像して気持ちを高めること。
何かしらの具体的な目標に向かって突き進もうとしているときのそれは、目標を定めていないときの漠然とした「週末を楽しむためにがんばろう」よりも、ありありとしている。
そんなとき、あの頃とまったく同じマーブル状の気持ちがやってくる。何十年も経っているのに。
自分の幼少期って、どこか自分じゃないような他人のような感じがして、「自分」という実感が乏しいのだけれど、ちゃんと幼少期からワタシだったんだ。
これからもマーブル状の気持ちを感じて自分を実感したい。だから大袈裟なことじゃなくても目標とか夢とか大事にしたいと思う。
(2021.7.10 sat)
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