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ジェネレーティブAIの道具としての活用:距離感を慎重ながら

 いろんな人と話をしていると、感銘を受ける事があると思います。

 人は他人と相互に影響を受けながら、日々小さな変化をしていくものだと私は考えています。

 さて、ジェネレーティブAI(生成AI)関連の情報を追っていますが、日々目まぐるしく進化していくため、中々追い切れていない部分があり、爆速で先に進むこのお祭りから置いて行かれそうになっております。

 1日単位で新しいサービスや発見がSNSに流れ、コアな方々が日々ジェネレーティブAIをいじくりまわしている熱量はとても高いのを感じまよね。

 そんな中で、私はChatGPT-3が出てきた時に、思想的な問答や自己分析に使ったことから、GPT-3にかなり危ない印象受けています。

 その結果、私はジェネレーティブAIの動向を間接的に見るにとどめて、あまり触っていないんですよね。

 仕事への導入や、技術的な面ではとても魅力的な反面、チャットAIで生成されるテキストがあまりにも人間的過ぎて、人間の内面的な部分への影響が無視できないレベルであると感じています。

 人と話をして影響を受けるのと、AIと話して影響を受けることの違いが、どういったものなかを理解出来ないうちは、一定の距離感を保ちつつ、道具としてチャットAIを使うことに徹していくのが良い気がしています。

 今普及しているチャットAIは、あくまでも人間を模倣しているに過ぎず、人間が話すようにテキストを生成しているAIであって、そこに人間と同じような自我といった意識はありません。

 しかし、「ワクチンにマイクロチップが入っていて、5Gを受信できるようになり、怪電波で脳波コントロールされる」といったトンデモ話を本気で信じる人がいるくらいなので、チャットAIに心の救済を無意識に求めてしまった時、そのわずかな隙間にチャットAIは簡単に入り込んでしまうことが危惧されます。

 カルト宗教などの怪しい話とセットで聞く、「自分は大丈夫」という認識を持っている人ほど、信じてしまうとそのまま沼の底まで落ちてしまうような話もあるので、よくわからないうちは距離をとるのが大切だと自分に言い聞かせつつ、GPT4を積極的に触りたい欲求を抑えて過ごしていたりします。

 SNSを見ていると、チャットAIを表現する語り口調が、そこに人間性が本当にあるようなものを観測することが増えてきています。

 もし、人間と全く同じ外見のロボットが実用化されていれば、愛着を持つ人たちが現れることで、「AIに人権を!」と活動家が唱える事案が起き始めていたでしょう。

 チャットAIは道具であり、道具として使うことで人々の生活が飛躍的に向上する可能性を秘めています。

 だからこそ、道具として認識しながら扱うことが大切なのを忘れてはいけません。





AIが生成した「ジェネレーティブAIの意識」

※記事タイトルはGPT3で生成しています。


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谷龍哉
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