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「昭和と令和」 真逆の国会答弁

 そこじゃないやろ?と思いつつも、ニュースやSNSでは高市大臣が辞任するのか!?という熱いワードで盛り上がっていおり、本筋を記事に組み込めなかったので、個人的に観測した範囲で、補充的説明を書きたく候。

正確性の確認は無理筋では?高市早苗に関わる行政文書捏造疑惑の落としどころ

大臣レクはあった可能性も、メモレベルの文書を行政文書として扱っていいのか 2023.3.17

 先日、私がJBpressへ寄稿した記事が掲載されました。

 本件は高市早苗大臣に関わる行政文書4枚について、捏造があったのか、正確性の確認が出来るのか?について整理し、論考した記事になっております。

 小西議員が提出した行政文書全文を読むと、高市4文書よりも、放送法の政治的公平性について補充的説明がされた経緯が本筋であり、正確性の確認がとれないと総務省から答弁がなされているとはいえ、経緯に問題があったのかどうかは議論する余地があるように思います。

昭和39年(1964年)4月28日の国会答弁

 昭和39年(1964年)4月28日、国会答弁で示された放送法の「政治的公平性」についての解釈が今も引き継がれているという話が出ていますが、この国会議事録を読むと、今の国会とは真逆の構図になっており、突っ込みたくなる気持ちが膨れ上がります。

 当時、4・17ストが計画されており、このストが実現すると国民に多大な影響が出るとして、時の池田勇人総理大臣が野球中継の開始から15分間割り込む形でテレビにて談話を発表しました。

 2日後、ストライキが中止されたという経緯がある中で、国会では総理の談話内容ではなく、放送事業者から総理が呼ばれ、多くの国民が野球を見ようと思っていたら総理が談話を15分間喋るのを見せられたというのは、放送法の政治的公平性として放送事業側の責任は妥当だったのか?という趣旨で議論が交わされています。

 放送事業者側から総理に1週間で15分、時間をとってほしいと話があり、ギャラも支払われていたことが議事録に残っており、放送事業者側からの依頼で出演していたと思われるんですよね。

 大体民放報道関係では民放報道協会というのを持っているようですね。これは各放送業者の報道部長が全部寄り集まっているようです。たまたま、四月の月はTBSが担当いたしておったようです。この担当しておった趣旨というのは、これは総理が十五分出演すると出演料というのを会社が払うというふうに、ギャラを払うという契約なんだそうです。

第46回国会 参議院 逓信委員会 第20号 昭和39年4月28日 016 横川正市
委員 横川正市

 政治的圧力とは真逆で、放送事業者が総理大臣を使って政治的公平性に関わる発言をこのような形で1番組で放送するのは、あかんのではないか?という議論がされており、放送事業者の免許書き換えを含めて適正に判断していく必要があるとともに、この法律は虫の穴の空いた話でもあるので、細かく追及するようなことはしたくないという配慮がなさた議論になっています。

 ここから約60年。

ある一つの番組が、極端な場合を除き

 昭和39年国会答弁において、政府側から「ある一つの番組が、極端な場合を除き」という文言を今も引き継いでいるような話が本国会にて政府側で何度か使われています。

 今の政府見解では、この「極端な場合を除き」というのを根拠に一つの番組について補充的説明をしたとなっているのですが、昭和39年国会答弁を読むと当時の政府は一つの番組で判断するということは相当慎重にしなればならないため、客観的に正しいという結論を与えるのは難しい問題と言及を避け続けているんですよね。

 むしろ、野党側がひとつの番組で政治的公平性を逸脱している場合には、なんらかの処分が必要なのではないかと質疑しており、今の国会とは真逆の構図になっていて、一つの文言のみを抜き出してそこを根拠にしていくのは、当時の議事録趣旨からも疑義が生まれる気がします。

 個々の番組に対する判断というものは非常にむずかしい問題でございまして ~中略~ ある一つの番組が、極端な場合を除きまして、これが直ちに公安及び善良な風俗を害する、あるいは、これが政治的に不公平なんである、こういうことを判断する——一つの事例につきましてこれを判断するということは、相当慎重にやらなければもちろんいけませんし、また、慎重にやりましても、一つのものにつきまして、客観的に正しいという結論を与えることはなかなかむずかしい問題であろうと思うのであります。

第46回国会 参議院 逓信委員会 第20号 昭和39年4月28日 005 宮川岸雄
政府委員 郵政省電波監理局長 宮川 岸雄

 こうなってくると、昭和39年国会答弁の議論全体をいま一度読み直し、解釈を見直す必要があるような気がすることもないですが、いまの時代が時代なだけに、ネットで個人の意見が多く散見するような世の中では国論を二分するような出来事にテレビだけでなく、ネットも含まれるのかは議論した方がいいんじゃないですかね。

ネットの普及で世界と繋がり、情報の行き来が加速した現代

 また、ネットにより世界との繋がりや情報の行き来が昔とは比較できないため、日本国内のテレビ事情だけで政治的公平性を判断していていいのかも大いに疑問があります。

 旧NHK党なんぞ、ネットから出てきた政党そのものですし、トランプ政権時代は、日本のSNSにトランプ大好き勢がトランプ思想に染まりながら日本の政治を考えていたように思います。

 元ソースを見つけられなくなってしまいましたが、陰謀論のような形で取り扱われている、某党のSNS工作は、ご高齢の方々でも出来るSNS工作マニュアルまで作って、かなり前から党員に動員かけて、SNSで世論誘導を意図的にしてまくっていると見かけますし、これが事実ならやりたい放題ですよ。

 上手にやっているのかどうかは別にして、他党もそれなりにやっていても不思議ではない気がしております。

 ネットへの政治介入が、一般市民を含めて盛んに行われているのを見るに、テレビでの政治的公平性を一つの番組で判断出来るようにしようと礒崎氏が頑張った一連の行動は、やらなくていいことをしてしまった感があります。

 放送法に関わる部分で何か礒崎氏個人の思いがあったのかもしれないですが。。。

 昭和39年国会答弁における、「極端な場合を除き」のみを抜粋して、一つの番組についての解釈を応用できる形にしたいという考え方を前提にすると、政治的公平性にかける番組については繰り返し行政から注意をし、それでも改善されなければなんらかの処分を言い渡す話になるんだと思います。

 平成から令和の世で、一つのテレビ番組で明らかにおかしい番組があるだろ、どうすんだこれ?といった問題意識が生まれ、なんらかの具体的な例示がほしくなるという考えに行きつくのも分かる気はします。

 ただ、繰り返しになりますが、ネットがここまで普及しているのと、Z世代と呼ばれる人々が社会に出てきているのを考慮すると、放送法の政治的公平性を議論するにはネットについても合わせて議論を進めて行った方が良いのではないかなと思うんですよね。

 例として、インフルエンサー級の政治家がもつyoutubeチャンネルやSNSで、身内の政治家を出しまくれば当選するんじゃないでしょうか?

 NHK党が政治家女子48党へ政党名を変更する前から、政治家女子48党の候補者を旧NHK党がプッシュしていたので、これに近いことをやっているように感じます。

 これらは、あくまで政治的公平性という点についてですが。

スポーツの生中継へ総理が出演する時代背景

 丁度、WBC日本代表の試合がテレビで生中継されていますが、この生中継の冒頭15分を使って、いきなり岸田総理が談話を発表したら、大問題になるは自明の理であり、日本が戦時下に突入するようなことが起きない限り、こんなことはしないと思われます。

 それだけに、時代というのは背景として非常に重要であると強く感じます。

 ただ、岸田総理はWBCで始球式を務め、その後も現地で野球観戦している様子が報道されていました。

 ある意味では、WBC日本代表の生中継で岸田総理が観戦している姿だけを映すのは、政治的公平性に欠ける可能性があるような気がしないこともないですね。ある意味ではですが。


AIが生成した「日本の国会議事堂」


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谷龍哉
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