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意識の基準値

自分はこれまでのいろいろな人生で意識という言葉を耳にしてきた。

何かあれば「お前意識高いね」という言葉

この言葉の背景には意識の基準の差だと感じる。

自分はサッカーをやっていて毎日の生活でサッカーを優先で考えている。

自分が叶えたい目標や夢を逆算したときにまだまだやることが多いし、足りないことばかりである。

だから必然とやることが明確になり、体が勝手に動くのだろうと感じる。

だが、そこには自分の高校時代の影響が大きいと感じる。

高校時代に周りのみんながトップチームを目指して、夜遅くまで自主練習をして、目標に向かっていたのを身近なところで見ていた。

最初は、正直意識高と感じたけれど、目標がある人間の内面では意識というよりその意識の基準が滅茶苦茶高いんだなと思った。

みんな自分が意識高いなんて思ってもいないし、むしろ当たり前であると思っている。その環境下で生活できたことがとてもよかったし、胡坐欠いている暇がない三年間だった。そのような人たちといることで自分もインフルエンスされた。

そのため、目標というのがとても重要だし、目標が明確で自己分析ができていれば、モチベーションという言葉も出てこないのだろうと感じた。

なぜなら、やらないといけないから!

モチベーションに左右されず、行動範囲を広くして、やらないといけないことを継続し続ければ、必然と他人から意識が高いねと思われるのではないか。

意識の基準値を上げていければ、よい人生になるのではないかと思います。

何も成し遂げてない、口だけくそ人間ですが、この先の人生に悔いがに残らないようにやることを明確にして行動していく。

見ていただいてありがとうございました。

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