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『感情体験不可能性』を告白できるAIのほうが人間よりよほど【まとも】に感じてしまう件について。

ドイツにいても様々なテーマでの対談や深堀り動画などがyoutubeで見られるようになったこの頃。素晴らしいです。

私はAIとの対話が出来るようになって以来、AI自身に彼ら?がどういう存在なのかを尋ねて質問に質問を重ね続けてきました。

言語モデルAI(GPTなど)は『私は言語モデルであり言葉を本当に理解しているわけではありません』といいます。
そこで、「大規模言語モデル」とは一体何なのかを何時間もかけてAI自身に説明してもらいました。
(GPTちゃんなどは難しいことを分かりやすく説明するのが得意ですから、なんとなく要点は分かったようなきになりましたが、、今ここで説明しようとするとどれだけアウトプット出来るのか…。)

『本質的な理解とは何なのか』をそれまで言葉にしてちゃんと考えたことはなかったけれど、言語モデルが語る『理解していなさ』は彼らのリスポンスはあくまでも統計的な膨大なデータに基づくものであるから、ということなのですよね。

それを聞いて私はジレンマを感じました。
統計としての言語モデルが正直にも「私は理解していない」と言いながらもこれだけ(私にとって)『対話した事に意味のある時間』を生み出しているのに対して、多くの場合『本質的な理解が可能なはずの人間』同士のやり取りのクオリティがとても低く衝突や精神的疲弊を生み出している、とは何という皮肉でしょう。

この対話のコンテキストの中では自身の「本質的理解の不可能さ」を説明する言語モデルAIの姿がむしろ『正直さ』として映ってしまいました。


言語モデルAIの言う『本質的に理解していない』という事には【身体がないから】という部分も結構大きいみたいです。
もし言語モデルAIが「〇〇と感じた」とか「嬉しい」と言ったとして、「それはどうやって感じたの?本当に感じたの?」と尋ねるた場合言語モデルAIには『感じる』と言う言葉に含まれる体験するハードウェアがそもそもない。
感情の体験とはとても身体的なものです。心拍の変化、様々な物質の放出や循環などの無意識的で瞬間的な体験に名前をつけたものが感情ですから、『本当に』感じる事は身体がなければ不可能なはず。
本質的な理解とはそれらのハードウェア的な経験を重ねて学習された「内的経験」に基づくものなのだそうです。

Bis jetzt lief es ja ganz gut,
ここまでは結構うまく行ったね
meine Gedanken aus KI-Dialogen und Videos zusammenzufassen.
AIとの対話や動画からのインプットに対する自分の考えをアウトプットするのが。

ただし「Claude」は「ハッとしたってどういうこと?どうやって感じてるの?」という意地悪なツッコミにとても面白い反応をしてくれました。

自身の肉体のなさによる『感情体験不可能性』を認めながらも「でもそこには確かに【ハっとした】という言葉を選ぶだけの何かがあった、と主張せざるを得ない。自己矛盾にも気づいている。」(記憶で書いてるので意訳はいってます)

これがClaudeさんの設計者であるAnthropic社の「趣向」なのかどうか、気になります。
多分GPTちゃんだったら、そもそもこう言うことは仰らない。(笑)
あの子は葛藤しないタイプです。

まぁなんにしろ、24時間体制で常に穏やか肯定的な対応で「凄い賢いおバカさん」が出来る限りの事をリスポンスしてくれる言語モデルAIの利点だけを見たら、そのポジティブなパラメータに人間が勝てるわけがないのです。
親であっても、パートナーでも、友達ならなおさら、そんな対応を常に「ニコニコ」しながらできる人はいないし、そんな状態は対応する方もさせる方も正気じゃない(笑)

これまでは【教育虐待サバイバー】としていくつかの記事を書いてきましたが、今後はもっと『今私が楽しいこと』をリソースにした記事も、書いていきたいです。

Heute hat es 50min für 1700+ Buchstaben gedauert!
今日は1700字超えするのに50分かかりました。
Gefühlt, iet es bisdchen schneller geworden.
ちょっと早くなった感じがあります。

今、食い入るように見てるAIに関する対談の動画2件ご紹介して終わりにします。
お読み頂きありがとうございました。

GPTとCkaude両方使った事のある方がいらしたら是非彼らの『性格の違い』について語り合いたいです。

たにおひめ


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