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「相談窓口を作ればいい」そう思っていた時期もありました

先進的な条例、でも相談は来ない

突然ですがここで一つ、障害者配慮条例を作った時の失敗談にも近い感想を。

私が市役所へ入庁した2015年~2016年ころは、障害者差別解消法施行前夜の時期でした。ただ、法律自体は理念法に近いアバウトなものだったので、まじめに地域で障害者差別解消を実現しようとした自治体は、都道府県、あるいは市レベルで条例を制定する動きが活発化していました。
各地の障害者差別解消条例(長いので、以下「条例」と言ったら障害者差別解消条例を指すことにします)の検討委員会には、その土地の弁護士が呼ばれることも多かったのですが、検討会の段階ではいい感じに進んでいても、パブリックコメントに出てくる時点で法に近いくらいの骨抜き感になっていることもありました。
そこへ、私が入庁することになった市役所も、条例制定を企画していたため、「検討会医院ではなく、条例を「書く側」になったらイメージ通りの条例ができるのでは?」と考えていました。また、私は、このテーマの日弁連委員もしていたので、先達からは「相談窓口と紛争解決権限を創設できたら立派な条例」と言われていました。
実際、紆余曲折はあったものの、ある程度イメージに近い条例になりました。紛争解決の際、市があっせん案を提示し、その受諾を拒否した場合には勧告、氏名公表する権限も創設しました。また、これらの権限を行政法学で言う「行政処分」と整理し、事前に行政手続条例に基づいた告知聴聞の機会を経るように設定するなど、行政法的に説明のつく条文にするなど、法学的には「きれいな条例」だったと思います。

ところが、いざ運用を開始すると、相談はほぼ来ません。相談も来ないのですから、あっせんだの、勧告だのといった紛争解決権限を使う機会などさらさらありません。
条例に基づく「施策」については、比較的わかりやすい障害に焦点を当てた合理的配慮の提供支援を目玉に展開していました。しかし、それだけでは合理的配慮のイメージがつきやすい身体障害にメリットが偏ってしまうと考えていたので、社会から偏見の目にさらされやすい知的障害、精神障害、発達障害のある人にとってメリットとなるには、この相談窓口が機能する必要があると思っていました。ところが、全然相談こなーい!

なぜ相談が来ないのか

条例に関わるまでの知見に基づけば、それほどまずい条例だったつもりはないものの、相談が来ない=対象となる市民にメリットが届かないことにへこみました。
なぜ相談が来ないのか。
ひとつは、条例制定前のタウンミーティングやヒアリングなどの場で、「合理的配慮とかいいから、そっとしておいてほしい」というご意見が少なからずあったことと無関係ではない気がしています。生れてから現在まで、障害のない人の社会から排除されてひっそり生きるのがデフォルトだったのに、急に「困ってることありませんか!? 合理的配慮の提供を求めてみませんか!?」と言われても困惑します。しかも、大なり小なりコンフリクトを生じることになり、いわゆる「戦う」状態にならざるを得ません。これは結構しんどいことです。
また、障害のある人にとって、行政や障害のない人の社会は、基本的に「排除する側」です。それを、急に「障害のない人の社会との架橋(=合理的配慮)になりますよ」と言われても、信じられるか、というお話です。
仲介者の紛争解決能力を信用できるのか。
司法手続だって、紛争の解決を期待して裁判をする気になるのは、裁判所、あるいは裁判官に対し、紛争を適切に処理してくれる、という最低限の信頼があるからです。このポジションは非常に重要で、それなりに訓練された人が当たらなければならないのですが、せっかく条例を作っても、ここの人材育成をおろそかにしたり、委託でどこかの法人へ丸投げして、自治体は件数カウントだけしている、みたいなことになりがちです。
合理的配慮の調整は、それまで障害のない人を相手に商売やらサービス提供やらしていた事業者、公的機関に対し、『これからは、障害のある人も念頭に置いてください』という、行動変容を迫る作業です。十中八九、反発されますし、話も聞いてもらえない可能性があります。それでも、「対話」の土俵を設定し、障害者差別解消法のロジックに従った着地点を模索させる作業になるので、相当のタフさが求められます。とかく、思いやりや優しさや理解のレベルに帰着させがちなところ、事業者や公的機関がどこまですべきか、ふんばって考えてもらわせることが必要になります。「あ、ごめん、やっぱり駄目だったわ」では簡単に済まされません。
とにかく、ここへ相談すれば多少は何とか解決してくれる、という信頼がなければ、そりゃ相談する気にもならないよな、と思っていました。

新設相談窓口に相談してもらうのは大変

というわけで、何事も相談窓口を作っただけではどうしようもない、という経験のお話をしました。
このお話をしようと思ったきっかけは、ヤングケアラーに関するケアラー条例の窓口に人が来ない、という話をX(旧Twitter)で見かけたことでした。ケアラーが相談に来ない要因も、障害のある人とはまた一味違う感じがしますが、なんにせよ、いくら条例の内容が先進的でも、平素から信頼関係がない窓口に、人は相談しません。

この、障害者配慮条例制定とその後の運用の経験から、「世の中は、人(人材)と金(予算)と法(条例)の三つがそろって初めてかすかに動く」と学びました。法(条例)だけがいくら先進的で、法的に整合性のある内容になっていても、それを守り、育てる「人」と「金」がないと、ホント、絵にかいた餅なんだなぁ。
私の勤めてた市役所は、3つともそれなりにバランスよく注力していた気がするのですが、5年10年やそこらで目に見えた成果が上がるものではないようです。この、三点への注力を少なくとも10年くらい続けて、初めて住民へ届いたりするのかもしれません。

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