感染者差別を防ぐために考えるべきこと(前編)
1 感染者差別を減らすには
新型コロナウイルス感染症に起因する緊急事態宣言も、本日時点で、関東1都3県と北海道を除き解除され、いわゆる「第一波」が終わろうとしている。しかし、「第二波」は必ずやってくるとされているし、北海道などは今が「第二波」っぽいところもある。そうすると今は「小休止」の時期にあたるとみるべきなので、せっかくだから「第一波」の反省をしてみてはどうかと思う。個人的に、もうちょっと何とかならないのかと思うのは、患者差別である。さまざまな声明では「医療従事者差別」について語られているものの、その根本にあるのは当然「患者差別」である。現在、元患者の口から語られ始めた闘病の様子は、当初言われていたものと異なって相当にしんどそうな病態であり(いや、「フツーの風邪だったし」で終わった人はわざわざ語らないだけかもしれないけど)、「生還」してみたはいいものの、家に帰ったら石を投げられたのではたまったものではない。
ただ、そもそもウイルス自体に未知の部分があまりにも多すぎて、「なんだかよくわからないもの」への本能的恐怖は抑えようがない。この点、機序や感染経路、治療法がある程度定着しているハンセン病やHIVなど、「理解すれば怖い病気ではないことが明らかである病気」ともまた少し状況が違うように思う。突き詰めると、「いつ村を襲ってくるかわからない大魔王を怖がるな」と言っているのと同じことなので、差別をなくすには全員で「いずれ誰でもかかりうる病気である」ということを、相当な「腹のくくり」でもって受け入れることができないと、ゼロにすることは難しい。
ということは前提としつつも、減らすためにできることはまだまだあるような気がする。さまざまな視点から、さまざまなアプローチがあるように思うが、一つの切り口として「感染症の発生状況等に関する情報を公表する」段階を、もう少し整理できないか、と思う。まったく情報が公表されないのも困りものだが、症例ごとの情報の量は、増えれば増えるほど当該患者にとってスティグマの原因になる。情報を「受け取る」ことで恐怖を覚えてしまうところのコントロールがなかなか難しいのであれば、せめて「出す」ところをコントロールし、患者にとっても、市民にとっても、無用の動揺を惹起させない努力をしてみてはどうだろう。
2 感染者の情報
この点については、以前書いたこととほとんど変わらない。下記のnoteは今年の3月7日付で書いたものだが、その後、このときの懸念がそっくりそのまま現実化し、さらに悪化して誹謗中傷だの私刑だのにつながっているように見える。個人情報保護法制は、災害時には「警戒しすぎ。もっと情報公開を」と言われることが多いものの、本件の場合はもう少しブレーキとして作用していい。
「個人情報」にあたらないように
なんか同じことをきれいにもう1回書いている気がするけど、気にせず書いてみる。ブログって、そんなものだろう(呆れ)。
これまで新型コロナウイルスの感染者が発生すると、まず各都道府県において、その患者の性別、年齢、濃厚接触歴、海外渡航歴、現在の重症度などが発表され、これに基づいて感染者数が報道されきただろう。これは、
感染症に関する情報について分析を行い、感染症の発生の状況、動向及び原因に関する情報並びに当該感染症の予防及び治療に必要な情報を新聞、放送、インターネットその他適切な方法により積極的に公表しなければならない。
という、感染症法16条1項に基づいている。そして、同条2項では、
前項の情報を公表するに当たっては、個人情報の保護に留意しなければならない。
と定められているものの、具体的に何をどうすれば「個人情報の保護に留意」したことになるのか、明らかではない。そこで、厚労省は、一類感染症については公表基準を定めている。そして今回の新型コロナウイルス感染症においても、この一類感染症基準を参考にするよう、事務連絡も出ている(厚生労働省健康局結核感染症課令和2年2月27日付事務連絡)。
どうだろう。これまでの患者発生状況の発表を考えると、ほとんど無視されているんじゃないか疑惑がふつふつと湧いてくる。
まず、この問題の個人情報保護法制との関連での位置づけは、「いかにして患者の個人情報とならない範囲で公表するか」である。杞憂ならいいんだけど、「個人情報の目的外利用の場面」と誤解しているような気がする場面も散見された。つまり、これが行政が預かった個人情報を、その目的外に利用する場面であれば、患者の同意さえあれば法律上は適法となる。しかし、本件は「感染症のまん延防止」という目的のために、「感染症の発生の状況、動向及び原因に関する情報並びに当該感染症の予防及び治療に必要」な範囲で情報を公表するだけである。ここで公表する情報が細かすぎると、たとえ氏名をマスキングしたところで、患者発生地の規模や地域特性次第で、近所の人が簡単に特定できてしまう。そうなれば、法や条例によってその利活用に厳しい制限を受ける「個人情報」に該当することになる。
「個人情報」扱いになってしまうと何がマズいのか。新興感染症に感染した、という病歴は、超がつくほどのセンシティブ情報であり、その取扱いはトップシークレットである。各地の個人情報保護条例の定め方にもよるが、個人情報の中でもこうしたセンシティブ情報は、原則として公表不可である。典型的な例外は、①法令上の根拠がある場合、②公表しなければ生命、身体又は財産に損害が発生する緊急やむを得ない事情がある場合である。また、「特定患者が、感染症に罹患したという情報を公表すべき」とする法令上の根拠は存在しない(感染症法16条1項はそこまで求めていない)。また、その情報を公表しないと、何者かの生命、身体、財産にのっぴきならない損害が発生する…なんていう場面も簡単に想像できない。つまり、公表する感染情報が詳しすぎて、近所の人なら誰のことかわかってしまうような公表をすることは、個人情報保護条例的に違法なのである。だから、自治体が感染症法16条1項の情報を公表したいのなら、個人情報保護条例の適用を受けないよう、「個人が特定されない範囲」の情報に限るよう細心の注意を払う必要がある。そうすることで各感染者のプライバシーは守られるはずである。
ところが、少々きわどいケースが散見される。
東京都在住の20代女性が、山梨県に帰省中に新型コロナウイルスを発症し、PCR検査を受けたが、受けっぱなしで高速バスに乗って東京へ帰ってしまった、という話。その後、ネット上で特定されたり、誹謗中傷で炎上したりするなど、「私刑」のような状況となっている。この件は、中傷する人々に対して警鐘を鳴らす流れになっているが、そもそも最初にここまでの行動歴を公表する必要があったのか、という点も検証されてもいいように思う。現在であれば高速バスの同乗者は特定して濃厚接触者調査はできるはずである。追跡できる場合は詳細な行動歴の公表は不要、というのが一類感染症公表基準の考え方でもあり、感染症まん延防止の目的との関係で、ここまで公表しなくても…と、思わなくもない。
「市町村名」の公表
上記一類感染症公表基準では、感染者の居住市町村名は「非公表」情報に含まれている。これまで一般的に感染者情報は「都道府県」が公表するケースが多い。そうであれば、感染者の居住市町村情報まで公表しなければいいのだが、なぜか市町村名まで公表している都道府県がほとんどだ。兵庫県の場合、阪神間の市で感染が拡大した時期に特徴的な動きがあった。県は当初、感染者の居住地を「圏域単位」でしか発表していないのに、なぜか感染者居住地の首長たちが、みずからのFacebookアカウントで「市内で感染が発生した」と公表し始めた。中には人口10万人にも満たない市もあったのだが、当該感染者はその後どうなったのだろう、と心配になる。
有料会員限定記事なので申し訳ないが、小さな農村の小学校で感染者が発生し、悩んだ末県が自治体名(村名)と小学校名を公表すると、学校に抗議と氏名公表を要求する電話が殺到した、という話だ。
住所地マスキングの必要性を考えれば、せめて圏域単位の公表にとどめるべきと思われる。逆に、居住市町村名まで公表する必要性がどこにあるだろうか。地域ごとの感染状況を知りたいのであれば、個別の感染者情報とは別に、1週間ごとなど期間を切って、市町村ごと(又は圏域ごと)の感染者数を公表するだけで足りないのだろうか。この点は、素朴な疑問点としていつも思っているところである。
(後編に続く)