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「おひとり様」が亡くなると大変なことになる

子どもが産めないと終活が気になる

Twitterを眺めていたら、こんな記事が流れてきた。さまざまな事情の末、「産めない」という結論と向き合わざるを得ない日が来ることがある。私もそうだった。そんなときに襲ってくる葛藤…について語りだすと殺伐とするので、ここではやめておく。

やめておくが、ひとつこのコラムに強烈に共感したことがある。それは、こどもが産めないと確定すると、無性に終活に興味がわく、ということだ。この年で終活はさすがに早い、と思う。でも自分のこれからをぼんやり考えたとき、普通の人であれば「この子がこんな感じで大きくなって、お受験したりしなかったり、習い事こんなことさせたりさせなかったり…」と夢想するところをオールカットである。完全スキップ。すると、将来の家庭を夢想しはじめて0.3秒で「…で、私を看取ってくれる人はいるんだろうか」という思考にたどりつく。配偶者と私、どっちが先に死ぬかのまるでチキンレースだ。私の場合、大変残念なことにどうやらきょうだいにも子どもがいなさそうなので、3親等の範囲(甥姪)の登場も一切期待できない。チキンレースに負けて私の方が長生きしてしまうと、「法定相続人なし」がかなり現実味を帯びる。

終活の基本、遺言書

こんなとき、はやりの終活ノウハウを駆使すると、遺言書を書こうとやたらと勧めてくる。でもいざ自分がそういう身分になると、残す相手のイメージもないのに遺言書なんて面倒な物書く?? 

40代…いや、こんな年からなくなったときに誰に財産渡したいかとか、さっぱりわからんでしょ。

50代…まだ早いでしょ。死ぬときの人間関係なんて。

60代…まだちょっと早い気がするなぁ、平均寿命まで20年以上あるし

70代…うーん、でも渡す相手、まだ見つからないしなぁ…

という感じで、道中よほど「この人になら私のすべてを預けたい」と思える人なり団体なりに出会えればいいでしょうが、おひとり様であるからこそ、遺言書を書くインセンティブはそうそう出てこないような気がする。

そうすると、終活施策の方向性としては、「遺言書を書くことを必死で進める」のではなく、「遺言書も何も残さずにおひとり様で亡くなる人が大量に出現する」ことを念頭に置いてやらないと間に合わないと思うの… 私、書かない自信があるし。遺言書。

遺言書のないおひとり様が亡くなるとどうなるか

そうでなくとも、65歳以上の高齢者がいる世帯のうち、夫婦のみ、または高齢者独居の世帯の割合は過半数に及ぶ昨今。21世紀が始まる2000年時点では約7300世帯(46.8%)だったところ、2017年には約14,000世帯(58.9%)にのぼる 。もちろん、こうした夫婦のみ、あるいは独居世帯のすべてに身寄りがないというわけではない。しかし、今後少子化の影響が徐々にあらわれ、子どものいない世帯や子どもが親とのかかわりを拒んでいるケースが増えていくことは間違いない。そうすると、高齢者が生活している間の支援をどのように考えるのかも大切なのだが、高齢者が不幸にして亡くなったときの葬儀やお墓、そして生前に持っていた財産をどうすればいいか、という点が問題になる。

仮に、私が一人で死んだとする。

私がそれまで住んでいた自宅や施設、病院には、亡くなった本人の遺品が残されたままだ。こうした荷物を預かってしまった人たちは、もはや入所者、患者、入居者ではなくなった人の物をいつまでも持っておくわけにはいかない。施設や賃貸住宅であれば、明渡してもらって次の契約者に利用してもらいたいと思うだろう。こういう場合、身寄りのない人を火葬する責任が自治体にある(墓地埋葬法9条1項)ので、その流れで自治体が預からざるをえないことが多い。住んでいたのが公営住宅であれば完璧に自治体が何とかしなければならないパターンである。
亡くなったあと、誰も何もせずに勝手に財産が名義変更され、相続人に引き継がれるのであれば簡単だ。しかし実際は、相続人が話しあって、亡くなった人の財産につき、誰が、どの財産を、どのような形で引き継ぐか、具体的な方法について話しあわなければ決まらない。この話し合いを遺産分割協議という。

遺産分割協議が終わっていない段階で、誰か知っている相続人に無防備に相続財産を引き継ぐわけにはいかない。ただ、遺産分割協議がまとまるのを待っていると何年も時間がかかってしまう。このため、とりあえず相続人で話しあい、遺産分割協議が終わるまでの間に代表して相続財産を管理する人を決めてもらい、その人に遺品を整理してもらう
これが本来の引継ぎ方法である。お葬式を執り行ってくれる親族がいるような場合は、基本的にこの方法で引き継ぐことになる。

ところが、身寄りがない、又はいてもかかわりを拒否されるケースでは、相続財産の受け取りをだれからも拒否されることが考えられる。行きがかり上亡くなった人の遺品を預かってしまった者にとっては大ピンチである。

このような場合、基本的には、そのまま放っておくと保管費用がかさんでコスパが悪い場合などには売却、処分することができる(墓地埋葬法9条2項、行旅病人法12条) 。このテーマで悩む場合の大多数は、高齢者が長年使ってきた荷物の処分だろう。売って値段がつく物がある方がまれだ。たとえばアンティークの家具や、買ったばかりの新しい自動車といった、誰がどう見ても売れば必ず高価な値がつくだろうと思われるような物でない限りは、基本的には処分して差し支えない。

物は売るなり廃棄するなりすればいいとしても、売って得られた現金や、もともと亡くなった人が持っていた現金・預貯金などの「お金」そのものについてはどうすればいいだろうか。
どうしても相続人に引き継げない場合には、家庭裁判所に、法律上権限をもって相続財産を管理する人を選んでもらうことができる 。相続財産管理人が選ばれたら、遺された現金や預貯金をこの人へ引渡せば、自治体や葬儀をした第三者は、亡くなった人の財産を預かるプレッシャーから解放されることになる。自治体が直接火葬するほか、民生委員や自治会長などが生活保護法の葬祭扶助を使って葬儀を挙げてくださる場合がある。この場合、葬儀の後に残った財産がある場合は、相続財産管理人をすぐに選んでもらうよう、生活保護法施行規則にしっかり定められている 。

相続財産管理人ががんばって法定相続人を探してもいない場合は、亡くなった私の財産は国庫に入ることになる。

非常に面倒くさく、特に最後に住んでいた自治体にかなりの面倒をかけることになってしまいそうだ。遺言書があればどれだけ楽だろう。でも、死んだ後のお金がどうなるかなんて、正直「知らんがな」…という気がしなくもない。

それほどお金が残っていない場合

さて、相続財産管理人を選んでもらい、お金を引渡したら全部解決と思うだろう。ところがこの制度には、大きな落とし穴がある。なんと、申立をする際に家庭裁判所に収めるお金がかなりかかるのである。地域によっても異なるようだが、平均的には50万円程度を納めなければならない。もし遺された相続財産が50万円以上あれば、あとで相続財産管理人からこのお金は返してもらえるが、それ以下しか残っていないときには申立てる側の持ち出しになってしまう。しかも、手元の現金が50万円弱の状態でお亡くなりになるという事態はそれなりに存在する。これは、最後に相続財産を預かるのが自治体であれ、市民後見人であれ、民生委員であれ、同じように頭を悩ませるのではないだろうか。

実は、法律的にこのような場面を想定し、きれいに解決できる仕組みがあるとは言いづらい状況だ。ただ、高齢社会が深化し続ける中で、徐々にこの問題が知られるようになってきた。そこで一つの方法として考えられるのが「供託」という制度だ 。

・・・聞いたことねぇよ。ええ、そうでしょう。

 供託とは、「本当は払わなければならない義務(債務)があるのに、相手(債権者)が何らかの事情で受け取ってくれない。だからといって払わずに放っておいても自分(債務者)の債務が消えるわけではないので、代わりに国(法務局)に払うことで債務から解放してもらう。」という制度だ。たとえば地主に地代3万円を毎月納めていたのに、ある日突然地主が「来月から倍の6万円を持ってこい。でないと私は受け取らない。」と言い出した時に使う。地主に対していつも通り3万円を持っていってもどうせ受け取ってくれない。かといって、まったく払わないというのも借主が契約違反になってしまう。そこで、国の機関である法務局に対し、とりあえず3万円を払ってその月の地代を支払う義務は実行したことにするのである。
これを亡くなった後の財産引継ぎの場面にあてはめると、亡くなった人のお金を預かっている人(自治体、民生委員、自治会長など)は相続人の代表者へお金を渡す義務(債務)がある。ところが、どこにいるかわからなかったり、受取りを拒否したりしているために渡すことができない。このため、代わりに法務局へ納めることで、債務から解放してもらう。

あまり聞いたことがない方法かもしれないが、国もこのような場合は供託によって解決すべきと考えているようである 。

≪マニア向け≫

これの参考資料を開けて、管理番号126番、127番を見ていると、困り果てている自治体の様子がありありとうかがえてちょっと面白い。そして、困り果てた自治体に対し、「そういう時には供託をすればいいよ」と回答する国。また、令和2年の生活保護法施行規則の改正により、「(予納金が高すぎるなど)相続財産管理人の選任申立が難しい場合は供託できるよ」とはっきりと定められた(規則22条2項) 。このように、少しずつだが、身寄りのない故人の財産引継ぎについての制度上の穴が埋まりつつある。

・・・いや、そもそも、「遺言書も遺さずに亡くなるおひとり様大量発生」の時代を前に、法定相続人が円滑に見つからない場合の相続手続(=相続財産管理人制度)が使いづらすぎるような気がする。

ちなみに、「おひとり様で丸腰で亡くなってしまった場合に葬儀、納骨がどうなるのか」を考え始めると、法のスカスカっぷりが一層ひどい。

「人がおひとり様で亡くなる」ことを、法体系として想定していなさすぎ問題。

ここまで書いて大後悔

こんなエントリ、クリスマスに書くことじゃないな

と、4000字も書いてから気づく私。何をやっておるのか…(ノД`)・゜・。

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