感染者差別を防ぐために考えるべきこと(後編)

前編では感染者個人に関する情報の公表基準を整理することで、その後に続く感染者差別や誹謗中傷を減らせるのではないかという問題意識で書いてきた。今回は感染者個人ではなく、感染者にかかわる事業所名の公表について考えてみたい。

3 事業所名の公表

感染が発生すると、感染が発生した場所や、感染者が立ち寄った先、感染者の勤務先など、その感染可能性のある期間に感染者と接触した事業所が多数発生する。しかし、「感染者と関係がある」という情報自体が、やはり差別と誹謗中傷の契機となり、感染者本人はもとより事業所の営業に大きく損害を生じることにもなる。それが契機となり、感染者が解雇されるなど、労働者としての地位を脅かすようなことにもなりかねず、事業所と言えど、その公表の可否は慎重に検討しなければならない。

ところが、「2」で紹介した一類感染症公表基準には、事業所名公表についてはそれほど関心が持たれていないため、どこまでどうすれば正しいのか、本当は結構難しい話ではないかという気がしている。

場面的に近い事件として、平成8年に発生したO-157集団食中毒禍につき、カイワレ大根がその原因であるかのような記者会見をした結果、全国の農家に甚大な影響が発生したとされる事件(東京高判平成15年5月21日判時1835・77)がある。この事件は、結局、結論としてカイワレ大根が原因であると言い切ることはできない、という内容の中間報告であったにもかかわらず、わざわざ記者会見まで開いて、カイワレ大根が原因であるかのような印象を強く持たせてしまったことにつき、国家賠償が認められている。

さて、この判決によれば、公表が適法になるには、①公表の目的、②公表の方法、③生じた結果の観点から是認できるものであることが必要となる。

事業所名の公表も、感染症法16条1項に基づく公表なので、その目的は、「感染症の発生を予防し、及びそのまん延の防止を図り、もって公衆衛生の向上及び増進を図ること」(感染症法1条)である。まん延防止の観点から必要な事業所名の公表として代表的なのが、「濃厚接触者を追いたくても追えないので名乗り出てきてもらわないといけない場合」、つまり、大阪で発生したライブハウスのクラスター感染のような場合だろう。あの場合、感染が発生した場所と日時は特定されていたものの、そこに来場した人が誰なのかがわからなかったため、上記を広く広報し、可能性のある人には保健所へ連絡するなどの行動をとってもらう必要があった。結果、発生地となった各ライブハウスにとっては非常に酷なことになってしまったが、感染症のまん延防止とのかねあいでやむを得なかったのではないだろうか。

このように、事業所名を公表する場合であっても、感染症の拡大、まん延防止の目的のために、誰に、どのような行動を期待して公表するのかを意識して公表する必要がある。

感染者の勤務先:あまり自治体が「感染者の勤務先である」というだけで事業所名を公表しているケースは最近では少ないように思われる。しかし、自治体は公表していないのに、勤務先が自ら公表しているケースはまま見られる。この場合は、「公権力による公表の可否」という論点ではなく、「使用者が、労働者のセンシティブ情報を公表することの可否」という別の論点で検討されるべき問題であろう。この場合、「公衆衛生の向上又は児童の健全な育成の推進のために特に必要がある場合であって、本人の同意を得ることが困難であるとき」(個人情報保護法16条3項3号)との関係で、やはり公衆衛生上の必要性の有無が問題となる。結局のところ、事業所名を公表することと、感染症のまん延防止との間にどのような因果関係がある(又は期待する)のか、きちんと説明できるか否か、ケースバイケースで落ち着いて考える必要があるのだろう。

感染者が利用していた施設・病院:全国的にクラスター感染が発生した箇所を中心に、感染者が発生した施設名、病院名が公表されているケースはそこそこある。ただ、これも公表された結果、施設や病院が地域から敬遠されたり電凸されたりした、という報道も相次いでいるところであり、今のままの施設名公表のあり方でいいのかどうかは落ち着いて考えてみてはどうかと思う。実際、クラスター感染にはならなくとも、感染者が高齢者である場合、感染者の立ち寄り先には大なり小なり社会福祉施設や病院の名前が上がるものである。こうした場合にいちいち公表はしていない。やはりクラスター感染が発生した場合に公表するという流れが定着しているのだろう。なんとなく、クラスター感染が発生していたら公表はやむを得ないかな、と思ってしまうが、実際、その情報は、記者発表という形で公表までする必要があるのだろうか。記者発表してしまうと、連日施設周辺に記者やテレビカメラが押しかけ、周囲は騒然となる。ただでさえ、職員も自宅待機者が多数出るなど、対応で忙殺されてそれどころではないのに、施設にかかる負担は甚大である。

その一方で、情報を受け取った私たち一般市民に対し、どうすることを期待して施設・病院名が公表されているのか、実は素朴によくわからない。施設の場合、クラスターが発生したとしても、利用者の範囲は法人が把握しているはずで、まったく施設と関係がない一般市民に広く施設名を周知する必要がどこまであるのかよくわからない。兵庫県では、「グリーンアルス伊丹」という高齢者施設でかなり大規模なクラスター感染があったが、正直私は、「へぇ~、大変やな」とは思っても、だから私の行動に具体的に影響したか、というとそうでもない。病院の場合は…一般外来患者などに対し、症状があらわれて帰国者・接触者相談センターに電話する際に申告してもらうという限りで意味があるのかもしれない。

いずれも「〇〇っていう強度の必要性があるんだよ!」という何かがあるのかもしれず、それを私が知らないだけのような気もする。めっちゃする。

感染者が利用していた交通機関:兵庫県で感染者が確認されたごく初期のころは、その感染者が平時利用していた交通機関まで公表されていた。これは、「2」の感染者情報のうち行動歴をどこまで公表するかとも通じるところがあるが、この情報、必要だろうか。どの交通機関を感染者が利用していたかという情報により、みんな気をつけるようになるから必要じゃないか、と言われたことがある。そうだろうか。「この人は、朝〇時×分大阪発のJR京都線の新快速に乗り、その後京都駅から〇〇線に乗って△△駅まで通っていた」といまさら言われてもどないせぇというのだろうか。「私も同じ新快速に乗っていたから、PCR検査を受けさせてください!」と言ったところでまず無理である。…というバカバカしさに気づいたからか、早い段階でそこまでの情報は出てこなくなった。ただ、感染者数の少ない都道府県では、いまもそれくらいの細かい情報を出しているところがあるようである。交通機関の名前を具体的に公表するのは、感染者のプライバシーと、事業者の営業妨害と、二重の意味でリスクをはらむため、その公表によって誰に、何を期待するのか、より慎重に検討した方がいいように思う。

4 ようするに

これまで、各都道府県、市町村、事業所などで、世の求めに応じながら未整理なまま公表されてきた感染症に関する情報だが、情報の内容が感染者個人に近づけば近づくほど、公表の可否は慎重に検討されるべきである。感染していない一般の人にとって見れば、出てくる情報が多ければ多いほどなんとなく安心するのはそりゃそうだろ、という話なのである。でも、そもそも未知のウイルスである以上、完全な安心を提供することなどできはしない。「出す必要のない情報を出さない」ことによって、無用の差別と誹謗中傷と排除を起こらなくなるかもしれない。また、コロナへの恐怖からの「排除」の行動が、自治体等公権力の方へ向くかもしれない。「情報を出せ」「隠ぺいしている」いろいろ言われるだろう。それ自体、決して健全なこととは思わないが、そうした攻撃が、感染者個人へ行くよりはまだマシではないだろうか。

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