嫌われる人たち(?)と法

「障害者の傷、介助者の痛み」

ここ数週間のひきこもり生活の中で、「障害者の傷、介助者の痛み」(渡邊琢,生活書院)という本を読んでいた。これは、相模原障害者殺傷事件を契機に、障害者が地域で暮らすとはどういうことか、その検討材料として現実の地域で暮らす障害者のありようや、その介助者たちの生々しい日常を紹介する書である。筆者は、京都にあるJCIL(日本自立生活センター)の介助員として、長年重度障害者の介助者(ホームヘルパー、介護者、まぁ、いろいろ言い方はあるけど在宅障害者の介助をする人)をしてきた人である。私が弁護士になりたての頃に、重度障害者介護保障裁判の関係でお話をうかがったことがあったり、難病法制定時の運動の際にもお世話になったことがあったり、ほんの少しだけお話をしたことがある。そしてだいたい、介助に入ったこともない私などは、「わかっとらーん」と怒られているような気分になる、そんな人だった。このへんの重度障害者の介助のお話は、わかっとらん私が紹介するとミソがつきまくるので、どうか本書を手に取ってみてほしい。高齢者の介助とはさっぱり違うのがよくわかるはずだ。

さて、相模原障害者殺傷事件については、なかなか津久井やまゆり園の日常生活の様子が伝わってこず(もちろん、被告人の刑事裁判でそんなものが明らかになるとはつゆほども期待していない)、考える機会もないまま今まで来た。そうした中、筆者(何回かお目にかかったことがあるので)のお考えを読んでみたくて、ひも解いた。

結果、正直事件のことについて何か考えることはほとんどなかった。でも、私がこれまで関わってきた障害者差別解消条例のこと、更生支援のこと、自立生活運動にまったくコミットしていない障害のある人が地域で暮らすということ、当事者主権のない高齢者福祉への違和感、障害者高齢者問わず介助者を利用者のハラスメントから守る「支援者支援」の必要性などなど、弁護士として「何ができるのかまったくわからない」思いを強くする分野が多数取り上げられていた。ていうか、「お前はやっぱりわかってない」と言われそう…ていうか絶対言われるわこれ。

全部のテーマについて書く気力と時間がないので、今回は「嫌われる人たち(?)」について書いてみた。できれば、触法障害者刑事弁護にかかわる弁護士に届いたら、と思う。

まっちゃん

この本の後半でたびたび出てくるのが「まっちゃん」だ。京都府内の実家で両親と一緒に暮らしているらしい。筆者とは10年以上のつきあい。普段は愛嬌と好奇心の強いきのいいおっちゃんだが、ツボにはまると態度が豹変し、暴言と怒鳴り声をあげて手がつけられなくなる。警察沙汰も数知れないが、警察も慣れているのか、そう簡単に警察署につれていったりはしない。「ダメだよ」「やめろ」など、強制的に制止しようとするとますますパニックはエスカレートする。「バーカ!バーカ!」「包丁で刺すぞ、てめぇ!」など、まっちゃんからの攻撃にさらされつつも、支援者は粘り強くかかわり続ける。でも、支援者の尊厳は、「バーカ!」の数だけ傷つけられる。

支援者も、筆者も、プロだからといってこれらの「敵意」に平気なわけではない。耐えられない人は離れていくし、残った人も「もう駄目なんじゃないか」という思いを踏みとどまること数多い。それでも、10年以上のつきあいを続けているのは、そこであきらめるとまっちゃんはこの社会から排除されていくことが目に見えているからだ。ツボにはまって粗暴性が発露し、慣れていない人ともみあいになれば大きな事件になる可能性もある。そうすれば刑務所だろうし、刑務所ではどうしようもないとなればその先は精神病院だ。

「それでいいんじゃない?」

と、思う人もいるんだろう。ただ、今、SDGsだなんだかんだでこれだけ「だれ一人取り残さない社会」とか「インクルーシブな社会」を目指している中で、「ただし、迷惑をかける人を除く」というただし書きを勝手につけるのはずるいと思う(うーん、法律家の吐くセリフではないなこれ)。「だれ一人取り残さない」というのであれば、生きている限り、「ひと」である限りは、極限まで「どうやったら(適度な距離を保ちつつでもいいので)共に生きていけるか」を考えないと。少なくとも、スーツの襟に虹色のリングをつけている限りは、ちょっとだけおつきあいいただきたい。

嫌われる人たち(?)

障害のある人の中で、一定割合で、まっちゃんのようなキャラクターの人はいる。なんとなく知的障害や発達障害の方に多いかなぁという印象を私個人は持っていたけど、いや、障害の種別を問わず、まんべんなくおられるような気もする。筆者は、こうした特性のある人たちを、「嫌われる人たち」…と、言い切ってしまうのもよくないので、「嫌われる人たち(?)」の要素を数多く列挙している。全部書くといろいろと問題がありそうなので、まとめると、

・突然キレやすい 

・自分で自分の居場所をどんどん少なくしてしまう

・自分より弱い人(女性や障害者)に対しても悪さをする

・同じデイやグループホーム、施設内の障害者たちにも暴言、暴力が向かうことがある。

・自分で自分の居場所をどんどん少なくしてしまう

慣れていない人が見ると、これだけでいろいろと諦めたくなるだろう。障害福祉の最前線で支援者をやっていると、やっぱり同様の本人と出会うことは少なくない。私は最初、知的障害や発達障害の特性としてこうした傾向を考えていた。しかし、この本によると、彼らがなぜあえて、「嫌われる」行動をとるのかというと、それは心的外傷(トラウマ)の故なのだという。かれらの成育歴を最初から聞くと、たしかに、人生のわりと早い段階で人や社会と思いっきり隔絶されるような経験をしている。それは単純な仲間外れのレベルから、特別支援教育だったり、施設入所だったり、家庭内での隔離だったり、地域からの排除(子ども会に入れてあげない、的な)の経験により、およそ「人」だの「社会」だのを信頼するという能力が、外傷体験によって損なわれているというのだ。

更生支援の現場で

私も、地方公務員になってからというもの、いろいろな福祉関係の部署にお邪魔してきたが、上記のまっちゃんのような方は、ある特定の分野で非常によく見かけた。その分野は、「更生支援」だった。更生支援とは、刑法犯に問われて刑事手続の対象となったものの、その被疑者、被告人、受刑者に何らかの障害が疑われ、福祉的ニーズがある場合に、そのニーズに応じた支援体制を整えることである。その結果として、誰も支援していなければ電光石火で再び同じことをすることが予想されるところ、少しでもその頻度を落とし、ひいては再犯に至らないことを期待するもの。更生支援の中でかかわる本人たちの多くはまっちゃんと同じような行動を平素からとる。まるで、自分の意思をあらわす手段の1つであるかのように、他人が嫌がる行動をとる。望んでやっているというよりは、それしか方法を知らない、という印象がある。そして、かなりの割合で怒っているので、気持ちがしんどそう。

更生支援の対象となるご本人と関わる際にも、はじめましてのクライアントについては成育歴からお話を聞く。すると、判でついたように義務教育期間中にいじめられている。他にきょうだいがいれば、家庭内でもいい思いはしていない。この人が、「こう」なってしまった要因の一つに、こうした「排除の成育歴」があるのだろうな、という漠然とした感覚はあった。あったが、「だから、今後この人が少しでも楽に生きていけるようにするためには、どうしたらいいんだろうか」というところはずっとわからなかった。

正直、本書を読みきっても、具体的にはわからない。ただ、人を信頼するという経験を持てなかった本人たちに対し、まずできることは「人生で最初の友人になること」なのかなと思う。その間、何百回、何千回と暴言を浴び、尊厳を傷つけられるのだろう。でも、本人の中で、「信頼」を腑に落ちるものとしてつかんでもらえるまで、つかず離れず諦めず、ともに「居る」ことなのだろうと思う。

持続可能な鉄人レース

って簡単に書くけど、どこにでも筆者のような支援者がいるわけではない。これを「当然のもの」として、「福祉という業界を選択した以上、当然の支援なんじゃぁ!」とは、私は正直言えない。法的見地から言えば、再犯可能性が少なからずある本人を支援し続けるということは、法的、倫理的、心理的リスクを多分に伴う。「自分が支援している人が、いつまた新たな被害者を生むかもしれない」という懸念はずっと付きまとう。そこへ、「支援者が法的責任を問われないようにする方法」を伝えたところで、「自分が関わった人が被害者を生むかも」というストレスは消えない。この点は、法的責任というより、専門職として抱える倫理的葛藤の側面が強いような気がする。でも、最低限、どうすれば法的責任が生じる(生じない)のかについては、支援者にきちんと継続的に説明し続けられる環境になければ、法人としてその人の支援に臨めないのも無理もない気がする。福祉が、本人とどの段階で出会ったのかにもよるけれど、全人生のスパンで考えたとき、その共に歩む道のりはマラソン…を通り越して鉄人レースだ。支援者も無理のないよう、「支援者支援」を受けないと続かない。こと、刑事手続と関与しそうな本人の場合、法律家も支援チームの一員として伴走する意義、必要性は多分にあると思う…が、そこからお金が発生しないので難しいのだけれど。

触法障害者刑事弁護と意思決定支援

さて、めちゃくちゃ脱線してきた自覚はありつつ、筆が乗ってきたので更生支援と弁護士の関わりについても触れておく。

上記の「支援者支援」としてのかかわりをしている弁護士は、現在ほとんどいないと思われる。弁護士がこのテーマを議論する際は、原則として「弁護人」として関与する。「弁護人」として関与する以上、被疑者段階においては早期の身体拘束からの解放、公判弁護においては刑期の短縮を目的として弁護活動を行う。その際、被疑者段階であれば検察庁に、公判段階であれば裁判所に証拠として提出するのが「更生支援計画」だろう。

私は、弁護人はもうできないので、関与するのは支援者側。支援者が更生支援計画作成を依頼された際には、そのアドバイスもした。私が弁護人をできていたころ、更生支援計画はその後の支援の見通しまで含めた文書として、それなりの信用性あるものと考えていた。しかし、更生支援計画は、通常のルーティンの支援計画作成の営みと大きく異なる。通常、支援計画を検討する際は、本人の意向やそれまでの生活、何が好きで何にこだわりがあるのかなど、丁寧な聴取と調査が必要となる。そして、利用する福祉サービスを決定する際には、本人への情報提供と施設側との相性確認のため、必ず体験をしてもらう。言葉だけで伝えても、生活をイメージすることが困難な人が多いためだ。

ところが、刑事手続中の本人と支援計画を作成する場合、本人はほぼ刑事施設に身体拘束中である。この状況では、障害がなくとも迎合的な意思表示をする被疑者被告人受刑者が多いところ、障害がある場合はなお一層その傾向は強くなる。また、「実際に見る」という情報提供ができない。これでは本人がその後どのような生活をしていきたいか、判断のしようがない。支援計画の「核」となる本人の意思がどこにあるのかは、釈放されて地域に帰ってくるまで誰にもわからないとしか言いようがない。意思決定の基礎となる情報提供は、本人が物理的に自由であってこそ初めて可能となる。そう考えると、身体拘束下で支援計画を立て、これを「履行します」という前提で証拠として提出する行為は、意思決定支援の考え方と逆行するのではないか、という気さえしてくる。

更生支援計画を作成して弁護活動をした弁護士の中で、刑事事件終了後の被疑者被告人の生活をモニタリングした先生がどれほどいるだろうか。私の体感的には、多くのケースでおよそ1か月以内に支援計画の抜本的見直しを余儀なくされる。そこから、地域の支援者たちの鉄人レースがまた新たに始まったり、再開したりする。

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