マナーを学ぶ自分なりの答えが出た件
ここ最近、マナーを学ぶ理由について考えていた。
4月から社会人となり研修をしている。
皆無なマナーを少しづつ教えてもらっている。
がしかしつい数時間前まで、「マナーとか何の意味があるんだ?綺麗事言っても結局世の中なんて、生産性があって働ける人間がこの世で成り上がり、成し遂げたい事を達成するんだろうが!!!」
そんな考えが根底にあった。
が、しかしある問いが自分の中で湧いた。
大きな力を持つ立場に居続けている人は品格がある。そして、大きな力という事を理解し品格があるからこそ大きな力をコントロール出来ているのではないかと。
どいうことか、噛み砕いていこうと思う。
程度はあれど力を持つ立場になった時、同時に敵もこれまでよりも多く増えのではないだろうか。
ここで述べている敵とは自分の考えと相違がある者ではなく、その立場や行いとは全く少しも関係ない所を捲し立て責め立てる人間のことを指す。
つまりニーチェ哲学で言う所の、ルサンチマンだ。
力ある立場になればなるほど、ルサンチマンの数は必然的に増えていく。
その際、完全に消すことは難しいが最小限にルサンチマンを留める方法が品格や人間力なのではないだろうか。
その、入口がマナーだというわけだ。
マナーが自分の地肉となったとき、それは品格となり人間力が地肉となったとき、人格に現れるのではないのかと考えた。
自分の夢は思いやり溢れる社会を実現することだ。
この夢実現のためには
第一に自分を愛し
第二に家族を愛し
第三に友人を愛し(恋人もここに含まれるんだと思う)
第四にその他の人を愛す
ことが、思いやり溢れる社会の実現に繋がっていると考えている。
第四を達成する為には、大きな力を持つ立場にならなければ社会を変化させる一石すら投げることが出来ない訳だ。
自分の夢の実現を叶える為に、力ある者の立場となったときに既に地肉となり品格として現れなければ、すぐにルサンチマン達の非難の的となり成し遂げたいも成し遂げれなくなってしまう可能性が高くなってしまう。
研修期間のマナー講習ではなく、大局的な視野で品格に繋がる一歩を踏み出すべく精進しようと思う。
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