さとのば大学 と 学び3.0
「さとのば大学」という取り組みで、「学び3.0」について考えています。
1.0が「お勉強」、2.0が「探求」だとして、もう一歩先に、というお話です。
大量生産・大量消費社会において、全体に向けての最適化を図る学びの型を「学び1.0」、個々人の興味関心に合わせた学びの型を「学び2.0」としてみます。
全体や個人にフォーカスするのではなく、それぞれの見たい未来が重なり合うとき、自分だけの学びから誰かと共創的に生きるための学びになっていく、それこそが一番面白い学びなのでは? という感覚があり、それを「学び3.0」と名付けてみました。
ただ、この「学び3.0」が、話を聞いたり記事を読んだりすると、分かったような気もするのですが、なかなか腑に落ちないところもあって。
自分がつまづくところを、考察しつつ整理してみました。
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●前提
1.0と2.0は、学びの「型」で語りやすい。
しかも、「瞬間」を切り取って語ることができる。
「集団」を考える必要もあまりない(学ぶ側同士の間での学び合いに、それほど重きを置いていないため)。
●理解の壁①:3.0は「型」が決まってない
対して3.0はまず、学びの「型」自体が、決まっていない。
集団内で混在し、時間軸でも行き来する(役割も含め)。
かつ、個の瞬間を切り取ると、「型」自体は1.0か2.0であることも多い。
ので、「3.0ってどんな”型”なんだろう?」という問いで理解しようとすると、なかなか答えが見つからない。
これが、ひとつめの壁。
●理解の壁②:3.0はそもそも「型」の話ではない
もうひとつの壁は、3.0は「型」というより、学ぶ「集団の状態」なんかを語る必要があること。
特に、「個々にほしい未来があって、かつ、それが集団の中である程度重なっている」は重要。
(なぜなら、それがあるから、他者の学びを自分ごと化したり、「学び合い」や「新しい発見」が生まれたりしやすくなるから。)
この「集団の状態」にフォーカスしないと、3.0の本質的な価値に近づけないのかなぁ、と。
たとえ、ひとつめの壁を越えて、
・1.0と2.0を含む多様な型が集団内で混在し、立場も含めて行き来できる
・集団での交流や情報交換が、新たな創造や個の学びにつながる
という「型」としての3.0っぽいものが見えていたとしても。
●まとめ
ひとまず、「3.0ってどんな”型”なんだろう?」という問いだと、
ひとつめの壁として、「答え自体が分かりにくい」があり、
ふたつめの壁として、「その問いの答えだけでは、片手落ちの理解になる」がある。
視野を広げて、問いをあらためる必要がありそう。
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というところまで整理できた気がするので、とりあえず良しとします。
あとは蛇足になるけど、そもそも学びってそれ自体が目的ではなく、プロセスのはずだから、
「何のための」「何を得たい」学びなのか、で考えたほうが整理しやすいのかな。
自分の理解が、本筋から外れていないことを祈りつつ。
↓思考の整理のために整理した表
https://docs.google.com/spreadsheets/d/115Hs0BvFK1nm5Ar2OIAjEck2gix2XSDHILH6Hu_MjN4/edit?usp=sharing
●学び3.0に重要そうな因子
・集団内の個々のほしい未来
・集団内の個々の適度な多様性
・上記ほしい未来の、集団内での重なり(と、相互認識)
・学べる内容の十分な選択肢(実践機会含む)と、個々の主体的な選択
・集団内での学び合う文化
・コミュニティを変化しながら持続していく柔軟性