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産婦人科の診察台

今日は半年に一度の産婦人科の検診の日だった。
年齢のせいか、今日はとてもナーバスだった。そして、診察台に乗ったら、無防備で無抵抗な自分の姿がいつも以上にかっこ悪く間抜けに思えてきた。その気持ちは過去に経験した妊婦健診のような前向きな受診でも、常日頃感じていた。

「産婦人科の診察台って、なんであんなに怖いの?」

分かっている。婦人科系の病気は発見が遅れると大変な事になるし、怖くても恥ずかしくても定期的に受診するのが望ましいとされる。理解している。だけど、今日、診察台に乗ったら、下半身は何も衣類を身につけず、タオルだけかけてもらい、足を広げて診察台に座っている自分がいた。

先生は忙しいようで、そんなかっこ悪い状態で結構長く待っていた。

そんな事はいつもならなんて事ないのだけど、今日は疲れていたのか、いつも以上に「診察台に乗った自分」が惨めに思えて辛かった。そしてネガティブな発想ばかり浮かぶ。

やっと先生が来て、いつも通りの診察が終わり、待合室の椅子に腰掛けると何故だか涙が出て来た。

待合室にいる、様々な年齢の患者さんを見て更に涙が止まらなくなった。

帰り道は、台風の影響か湿度で顔がベタベタして、そんな私は益々不細工な顔して惨めに歩いてるのかもしれない、と不安になった。同時に近頃の嫌な事も頭に浮かんだ。

最近では、私は何か嫌なことがあっても、自暴自棄になる、という事がなくなった。

もし、人生に行き詰まる人が居たら、頭の片隅に覚えていてほしいのだけど、私の経験上、自暴自棄というのは、そんな自分を支えてくれる人や、嫌な事はいつか終わる、というゴールがあるからこそ成立するのだ。

そういったことも通り過ぎ、疲弊してくると、自暴自棄すら起こす気力もなく、ただだだなす術なくじっと耐えるしかない。

だからヤケクソというのは終わりが見えている、という事。終わりが見えない時はなす術が、無く、じっとして耐えるしか無く本当に辛いという事。

などと、心の中で思い巡らしてしまった。

産婦人科の診察台のネガティブスイッチすごいと思う。

どうか、女性も明るい気持ちで診察出来るような、ハッピーな診察台が開発されますように。

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