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仙台の名前には愛が含まれている

仙台駅には「SENDAI」という看板が、駅の西側、東側に掲げられている。これは地元民も観光客も駅の目印、また仙台駅の象徴として長く馴染んでいた光景なのだけれども、ある日東側の「SENDAI」が消えてきた。

東側に設置されていた「SENDAI」の看板

無くても困らないのだけど、やはりいつも見慣れた風景が変わると言うのはなんだか寂しさもあり「SENDAI」は何処へ行ってしまったのか?と心の中で思い、時々思い出しては考えていた。

そして先日、たまたま駅の西側を通ると見慣れた文字列がわたしの目の高さ、手の届く高さに置かれていた。

あの文字列だ!

おそらくあの「SENDAI」だ!

私は久しぶりに会う「SENDAI」に興奮した。

あの文字列

道行く人は足を止める人もいれば、何事もなかったかのように通過する人様々だけど、私は「SENDAI」との再会を喜んだ。

元々私は「仙台」という名前に何か特別なものを感じたことはなかった。ただ、仙台藩主、伊達政宗が「この土地が千代に栄えるように」との意味で「千代(せんだい)」と名付け、「仙台」という地名になったというのは何かで見たことがあったし、今こうして書く前にもWikipediaで確認した。

仙台を「SENDAI」として意識したのは震災後で、多くの方々からの支援に対し、「仙台から愛を送ろう」に因み、「SEND♡AI」というキャッチフレーズで、しばらくCMやネットなどでキャンペーンが行われていた。その時に「仙台の名前には愛が含まれている」と、初めて認識した。それ以降、特に仙台駅の「SENDAI」という看板を見るたび、仙台という地名に「愛」という言葉を意識するようになった。徐々に私は愛を感じずにはいられなくなったのだ。

不思議なものだ。「仙台の名前には愛が含まれている」と意識しただけで、仙台という街に愛を感じるようになった。潜在意識というのはそんなものなんだろうか。言葉というのは不思議なものだ。

今現在東口の「SENDAI」の看板は、仙台駅西口、正面玄関の横に設置されている。モニュメント、そして新たなフォトスポットとして設置されたらしい。

私は「SENDAI」の看板が処分されてなかったことに安堵した。加えて看板が手の届く高さに設置され、遠くから眺めていた文字列が目の前にある事に気分が高揚した。

遠くの「AI (愛)」が、手に届く「AI (愛)」になった、幸せな気持ちに、なる!

遠距離の恋人たち?すれ違った夫婦?長年の片想い?まるで遠くの愛が実を結んだようなハッピーエンドを、大袈裟に連想してしまった。

「SENDAI」という地名はやはり愛が含まれている、「仙台の名前には愛が含まれている」目にしただけでハッピーな気分にさせてくれる、そんな気がした。

(MacBook)

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