【待つ】楽しさとか甘酸っぱさとか
送っていいのかなと下書きに保存しては推敲する。
意を決し送信ボタンを押す。
画面が紙飛行機が飛んでいくアニメーションに切り替わる。
その画面を見て、もう後戻りできない事を悟ってそっと携帯を閉じる。
読んでくれている事を想像していても経ってもいられなくなる。
こんなドキドキした思い出はないだろうか。
メールの返信を待って、何回も更新ボタンを押してしまう。
返信が届いて欲しいけど、届いちゃうとドキドキするから
なんとなく届いてほしくない。
そんなトキメキを経験をした事はあるだろうか。
所謂ガラケーから、スマホに変わった事によって
生活は便利で快適なものになった。
スマホ一台あればお店で決済が出来て、バスや電車にも乗れる。
スマートフォンとは言い得て妙で、一台で何役もこなして
暮らしをスマートに支えてくれる。
生活に必要不可欠で、これがないと生活が出来ないという領域まで来ている。
ただ、ふとした時に感じる事がある。
前述したメールの例のような、不便だからこそのワクワク感というものは
スマートすぎてほとんどと言っていいほど無い。
LINEは常にリアルタイム更新で、
好きな人からの返信の返信もリアルタイムで届く。
メールを読んでくれたかどうかは、既読という二文字が教えてくれる。
淀みないコミュニケーションの発展で、
前時代的な【待つ】という楽しみは失われている気がする。
メールのやり取りは、いちいちタイムロスが発生する。
「今何してんの?」
「漫画読んでるよ〜」
「何読んでんの?」
「ワンピース!読んだ事ある?」
「おお!俺も大好きだよ!○巻のゾロがカッコ良くてさ〜」
「わかるわかる!あのシーンも泣けるよね〜」
なんてやり取りに数分間費やしていた時代があった。
スマホでメッセージ送る場合は
基本的にリアルタイム更新だから待つ時間が少ない。
ガラケーでやり取りする時間分、スマホを使ってやり取りすれば
おそらく数倍の量のやり取りを積み重ねられるだろう。
それはそれですごく有意義だと思う。
ただ、相手にメッセージを送ってから
どんな返信が来るのかワクワクしながら待つという醍醐味を
噛み締める時間が圧倒的に短くなってしまうとも感じる。
あの頃の僕たちは、好きな人からの一通一通のメールが貴重だったし
小さなデコ絵文字の一つ一つが掛け替えのない宝物だった。
「メール読んでくれてるかな」と想像してドキドキし
どんな返事が来るのかなとワクワクし
更新ボタンを連打して届いたメールを、緊張の余りなかなか開封出来ない。
【待つ】という時間の中で、そんな甘酸っぱくてキラキラした経験をしていた。
もちろん【待つ】という状態が楽しいばかりではない。
災害時の安否確認や家族に万が一の事があった場合など、
有事の際の連絡は、待つ時間が短ければ短いほどいい。
リアルタイムで連絡を取り合える事で、安心を感じられる。
淀みないコミュニケーションの発展に、心が救われる事だって多分にある。
何が良くて何が悪いではなくて、
ガラケーでカチカチやっていたメールにも
スッスッと気軽に送れるスマホのメッセージにも
どちらにも素敵なところがあって、どれも失われてはいけないものなのだ。
ただ何となく、
スマートな生活に慣れすぎて
不便だったけどキラキラしていたガラケー時代を忘れてしまいそうだったから
文章に起こしてみた。
「もうあんな時代には戻れないけど、あのドキドキ感はもう一回味わいたいな」
なんて思ったりもするけど、「もう既読したかなぁ」なんてソワソワしちゃうんだろうな。
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