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岐阜城 宣教師も証言する信長が住んでいた城

岐阜城 名前の変遷物語

岐阜城に関してはちょっとした名前の変遷がいろいろあります。

岐阜城の元の名は稲葉山城。

1567年稲葉山城の戦いで斎藤龍興から奪い取って以降信長の居城となりました。

信長はこの戦いに勝利し、小牧山より稲葉山城へ移っています。

稲葉山城は美濃国井之口にありました。

信長は「井之口を岐阜」へと改めました

「岐」は周の文王が岐山から起こったことから、「阜」は孔子の生誕地から取り、天下布武の思いを込めて「岐阜」と名付けたと言われています。

以来、岐阜城と呼ばれるようになりました。

そして、稲葉山の今の名前は金華山

御朱印にも「金華山 岐阜城」と記されています。

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掲載写真の御朱印はながすさんのツイートからご紹介しております。

ながすさん元ツイートはこちらです。

岐阜城は難攻不落と言われたが

岐阜城は山城で難攻不落と言われていましたが、内部の裏切りなどにより実際は5回も落城しています。

また、井戸を掘っても水が出ない土地であり、実際は籠城には不向きな城でした。

それでも、信長は岐阜城を居城とし、公家や商人をもてなす豪華な迎賓館も備えるなど大変お気に入りでした。

現在、金華山山頂にある建造物は1956年に、往時の天守閣を想像して模して造られたものとのことです。

谷口松雄堂の書き置き御城印帳

御城印のほとんどは書き置き式です。谷口松雄堂は書き置き御城印帳で御城印文化を応援しています。



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