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再建主義シオニストYouTuber牧師の罠

you tuber牧師が述べている第三神殿の再建について

 この話はどう見ても聖書的ではありません
その理由は
エレミヤ
7:4 あなたがたは、『これは主の神殿だ、主の神殿だ、主の神殿だ』という偽りの言葉を頼みとしてはならない
キリストご自身が自信を捧げられた贖いの効力を無効にしています 神殿を作ることにより神殿の中心にある聖所の外庭ですでに終了したキリストの血ではなく イスラエルは再びは国家として 又地上での神殿の役割は終わったのです
マタイ
27:50 イエスはもう一度大声で叫んで、ついに息をひきとられた。
27:51 すると見よ、神殿の幕が上から下まで真二つに裂けた。

へブル
9:9 この幕屋というのは今の時代に対する比喩である。すなわち、供え物やいけにえはささげられるが、儀式にたずさわる者の良心を全うすることはできない。
9:10 それらは、ただ食物と飲み物と種々の洗いごとに関する行事であって、改革の時まで課せられている肉の規定にすぎない。
9:11 しかしキリストがすでに現れた祝福の大祭司としてこられたとき、手で造られず、この世界に属さない、さらに大きく、完全な幕屋をとおり、
9:12 かつ、やぎと子牛との血によらず、ご自身の血によって、一度だけ聖所にはいられ、それによって永遠のあがないを全うされたのである

再建される第三神殿は私たちの体であるのではないでしょうか

ユダヤ人はキリストを信じていない

キリスのの名によって行われるならまだしも間違いの一つとでも言えますが キリストの名によらない再建は無効でかつ異端的行為である いわゆるキリストとは別の宗教で十字架以前のユダヤ教である

キリストがご自身の血で大祭司として清めをされているとへブル書では書かれていますが再建主義者シオニストたちは古い地上の幕屋の規定を適応しようとしています これらはイスラエル優位の政治的思想が現れてい

るのではないでしょうか
出エジプト記
5:8 また、彼らにわたしのために聖所を造らせなさい。わたしが彼らのうちに住むためである。
コリント人への第二の手紙
6:16 神の宮と偶像となんの一致があるか。わたしたちは、生ける神の宮である。神がこう仰せになっている、「わたしは彼らの間に住み、かつ出入りをするであろう。そして、わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となるであろう

現代の神の民とはクリスチャンである

イスラエルは切られた枝でありそこに接ぎ木されたのがクリスチャンである

イスラエルと他の国々との「隔ての中垣」を取り除くことについての真理を、すなわち、「異邦人が」ユダヤ人と共に「神の国をつぐ者となり」、「福音によりキリスト・イエスにあって……共に約束にあずかる者となる」という真理を弟子たちに明らかにしたいと切望された(エペソ2:14、3:6)

エペソ
1:11 わたしたちは、御旨の欲するままにすべての事をなさるかたの目的の下に、キ
リストにあってあらかじめ定められ、神の民として選ばれたのである。

ペテロの第一の手紙
2:10 あなたがたは、以前は神の民でなかったが、いまは神の民であり、以前は、あわれみを受けたことのない者であったが、いまは、あわれみを受けた者となっている。

私たちは木に接ぎ木されていますイスラエルは切られた枝出ると聖書は述べています そしてその根はキリストです この根の事をイスラエルであるとあるシオニストは言っていますが今はユダヤは神につながっていないのです 

結論


再臨のキリストの花嫁は教会=神の民であることがはっきりわかる
天使は、ヨハネに言った。「さあ、きなさい。小羊の妻なる花嫁を見せよう。」「この御使は、わたしを御霊に感じたまま、……連れて行き、聖都エルサレムが……神のみもとを出て天から下って来るのを見せてくれた」とヨハネは言っている(黙示録21:9、10)。したがって、明らかに、花嫁は聖都を表し、花婿を迎えに出るおとめたちは、教会の象徴である。黙示録によれば、神の民は、婚宴に招かれた客であると言われている(黙示録19:9参照)。

イスラエルと言う言葉が現物を指しているか神の民の象徴として使われるかの見方で見解が随分と変わってきます

その他の聖句
マタイ
21:43 それだから、あなたがたに言うが、神の国はあなたがたから取り上げられて、御国にふさわしい実を結ぶような異邦人に与えられるであろう。

。わたしは、また、昔のエルサレムは2度と建
設されないことを見た。また、この集められる時に、サタンは、全力を
あげて、神の民の心をこのような事へとそらし、主のみわざのために今
しなければならない事に全力を尽くすのを妨げ、主の日に対する必要な
準備を怠らせようとしているのを、わたしは見た。


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