Still I'm fine.(「たにかつさんはどうやってひきこもりから抜け出したのですか?」という質問に答えて)
ばりばりにひきこもっておりまして
今でこそ、毎日のようにあちこちに出かけ、行楽情報をFacebookにアップしたり、学習会や講演会に出かけたりしている私であり、不登校やひきこもりなどの相談を受けるために県内あちこちに出かけている私ですが、公式には30~37歳くらいまではバリバリの引きこもりでした。「公式に」というのは、「非公式」だと、実質的には14~17、18~37歳までは引きこもっているようなものだったよなあと思っているのですが。
「どうやって抜けたんですか?」
とにかく、37歳の時から、少しづつ家や部屋にこもる生活から抜けてきているので、現在家や部屋にこもっておられるご家族のおられる方(主に親御さん)からは「どうやって抜けたんですか?」と聞かれることが多いのですよ。
もちろん、私と同じ方法が適用できるかどうかわからない
ことを前提として、聞かれた(知りたいと思っておられる)のでお答えすることがあるのですが、それは「母が亡くなった」ことが関係しています。ほら、真似できないでしょ。
私は、自分の能力を過信し、人に理解してもらう努力もしないのに、それでいて人から認められたくて、簡単に言うと中2病をこじらせたことが原因でこもる生活をしていたのですが、もちろん、母を含めた周囲の人々に多大な迷惑をかけていました。そうしてまた、そのことを頭では理解しつつ、けれども、それをどうにもすることができないでいる自分に対しても怒り、そして周囲の人々に対しても怒り、社会に対して怒っていました。
母はがんで、短い闘病ののち亡くなりました。
生きている間に何もすることができなかった自分に怒り、そして、その感情から、少しでも前に進むために、できることから一歩ずつ歩み始め、なんとかここまで来ています。
本当は母が生きているうちに、元気で楽しく生きている姿を見せることこそが、親孝行だったのだろうとは思う。
残念ながら、その姿を見せることはできなかったし、母が望んでいたような「朝起きて仕事に行き給料をもらって、ささやかだけど人並みの生活をする」ということは今もできていない。でも、それでも、あの頃からはくらべるべくもない恵まれた生活をし、人に囲まれ、楽しく生きているってことを、私は私の人生を通して、母に伝えていきたいと思うのです。
勝彦は元気でやっているよ、と。
(この投稿は私の敬愛するZABADAKの「Still I'm fine」を聴きながら書きました。ZABADAKの吉良知彦さんは、2016年の7月に亡くなられたのですが、吉良さん、あなたの歌は、今もこうして聴かれて、歌われているよ。)