逃れられないものに相対する時

不退転の覚悟がすぐに立ち現れるのではない、、、。不退転の覚悟は逃れ得ない運命に相対した時から徐々に形成される一念一念の想いの集積であり 一つ一つの反抗の行動を積み重ねていく過程で踏み行われていく意識の集合体である。

人はそれぞれ時を重ねある程度月日を経ると 必然的にあり得ない出来事に遭遇するのが常ではなかろうか。まさか我が身に降りかかる災厄に茫然自失する、、、多かれ少なかれ 一度や二度はたまた何度でも災厄に見舞われる体験を重ねているのではなかろうか、、、。

我が身に巻き起こった災厄はまさに 激震ものの逃れ得ない運命そのものだった。二十代半ばから何度か訪れた激震は精神疾患の一つ 統合失調症に罹患したことによる。統合失調症に罹患するという事は即ち人生の価値を喪いかねない過酷な運命と相対しいずれ浮揚に向けた足取りを選ばなければならないという意味である。そしてこの浮揚に向けた足取りこそ我が人生に起こった逃れられないものに相対する時であった。

この逃れられないものに相対した日々を振り返るならば 人は皆 紆余曲折を経て又様々な逡巡にもがきながらようやく往くべき道行を踏みしめていくのではなかろうかと、、、我が身に照らし合わせて思い起こされる。

それは混乱と狂騒に満ちた動転の日々から始まる。まず強烈な覚醒状態が巻き起こす妄想に取り憑かれた半狂乱の思考齟齬な状態が訪れ最高潮の興奮に陥る。その後徐々に落ち着きを取り戻し 強烈な覚醒状態が引き起こした後始末としての疲労困憊が永きに渡り停滞する。又無気力で無感覚になり感情やら感覚を何処かにおいてきたかのようになりひたすら寝て暮らすようになる。

そして月日を経て自身が置かれた状態に茫然自失し 身動きもとれない現実に恐れ慄く日々となる。肝心の認知機能が障害をきたし 思考がままならない。肉体は全く不能、、、極度の疲労感に襲われ気力が失われている。 このままならない現実に対して抗える手段はただ一つ 自らの現実を直視しつつ回復に向けての気配を整えていくしかない。それは完全に待ちの姿勢であり 反抗に向けての猶予のようなものであり 動かしえない現実に向けての意志の芽生えのようなものである。気力の源が一滴一滴が滴り溜まりゆくのを待ちに待つしか抗いようが無いのである。すぐさま反転攻勢に撃って出れるほど生半可な疾患では無い。

現実を動かし得る術はない、、、がしかし、たとえ一時的に自暴自棄になったとしても 回復に向けての足取りを踏み行こうとする一念をまず心に描くこと 全てはここから始まる。そして初心というべきこの一念から回復という新たなる現実が立ち現れる。そして膨大な数の回復に向けた一念を積み重ねた結果 現実は塗り替えられる。常に現実を変えていくのは 地道なコツコツと積み上げていくような意識を掻き集めた結果でしかない。

現実を動かしていくのは一念 一念と真剣に向き合うこと 今起こしたい想いに対しての真摯な姿勢、、、特に一念をつくり始める一歩目から もがき始めた初手から上手く立ち回れるはずも無く 躓き泥だらけになりながら 今出来うる一念に向き合うこととなる。空振りやら空回りは動くというアクションを起こした勲章と心得ること。肝心なことは 回復に向けたアクションを今向かうべき一念を通して行動し続けること。この実践が回復という扉を開く道行になる。

逃れえないものに相対する時 弛まなく問われ続けることになる。自身がどのように在りたいかを、、、その道標に従って向きあうべき一念と相対する。その向きあう過程で 一念 一念が立ち現れ 踏みしめていく過程で不退転の覚悟が形成される。 往くべき道のりの多難さを越え 現実の一念への向かい方を会得した時 不退転という覚悟の実践がなされるのである。その時 現実は既に書き換えられている。現実を越えていけるのは 今ある一念との実践を通した自身との対話でしかない。一念 一念との試行錯誤の格闘の産物が回復という道行なのである。







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