恵まれた、この命をどう使うか。の問いを見つけた1年
最近アウトプットしてなかったので、今年の学びを言語化していきます。
1年の思い出を写真で振り返りながら。
最近のわたし
就活
今年の4月から復学して、3年生をやっています。
受けている業界は幅広く、メガベンチャー規模から日経大手まで。
SNSを本名で活動しているため、詳細は控えることとしましょう〜
インターン
今年の3月から一般社団法人Public Meets Innovationという団体にてインターン生をしています。
主に官僚コミュニティを運営し、企画やイベントレポート等裏方の仕事をしております。(あとは賑やかし)
ルールメイキングを様々なアクターから考える、とても面白いテーマを掲げています。とても素敵な人に囲まれて、日々学ばせていただいております。
研究室
1年生の頃からご縁があった地域創生論に所属し、主にフィールドワークといった形で西日本の地方を中心に視察活動を行なっています。
卒論の構想では、後述のNOTORNの話を起点に、「弱い紐帯」をテーマにしようと考えています。
同級生(だった)の人科の子たちの卒論に関する阿鼻叫喚が聞こえてきているので、早め早めに行動したい。
NOTORN
設立からはや1年半も経っていることに驚愕したのですが、大阪に戻ってからも活動は続けています。
現在は、
能登地方の飲食店を発信する「まーそなグルメ」というInstagramアカウントの運用
マイクロEVを観光手段として発信することに取り組まれている株式会社DOKKA様とコラボし、SNS運用代行とイベント企画実施
をメインで行いつつ、能登、関西で定期的にオフライン交流会を行なっています。
タイトル回収
このnoteのタイトルが非常に重たそうな感じですが、個人的にはそこまで重たく考えていないです。
自分のためだけに使うような命ではない
使命感は、人生の転機が訪れるたびに生まれ変わると考えています。
かつ、他人に「〇〇してあげる」というような上から目線の考え方でもないです。
そう感じたことが多かった年なあと思ってのタイトルをつけさせていただきました。
あまり具体で話すと長くなるので詳細はお会いした時にでもお話ししようかと。
という問いが浮かび上がってきました。
答えは即決の"NO"です。
これは自分の範囲内で終わらせている人を批判しているのではなく、
ただ自分の命がそうだろうと思い込んでいるだけの話です。
絶望と挫折があった1年を、家族/地域の人/友達/先生その他色んな方々に救っていただきました。
その恩返しを、20代以降で果たしていく所存です。
齢20ちょいで使命感を確定させることはできないので、20代はひとまずこの使命感で生きていきます。
人生に起こること全てに、意味を見出す
この価値観は、今年の経験を通して出した自分の中の結論です。
おそらく、この先死ぬまでずっとこの価値観で生きていきます。
人には、生きる意味なんてない
僕はそう思っている派です。
先天的には意味を持って生まれて来ません。
(もちろん、生物学上の種の繁栄という目的はあるのですが)
ただ、他の動物にはない知性を持ったヒトという生き物は、思考をし、意味を見出すことができます。
全員が意味を見出していくべきだとは思っていません。
ただ、見出すことによって、死ぬ時に満ち足りた気持ちで終えることができるんじゃないかなーーーっと考えています。
出来事は、単なる現象にすぎない
身の回りに起きる出来事には、良いも悪いもありません。
人が死ぬのも単なる現象のうちにすぎないです。
無論、故人を偲び悲しむことは大切ですし、前を向くきっかけにもなります。
昨年祖父を亡くしましたが、思い出を懐かしみながら、改めて死について考え、向き合うきっかけになりました。
単なる現象を、「メッセージ」だと捉える気持ちがあるか
自分にとって重要なことに思える出来事に遭遇したとき、上記のように考えるようにしています。
意味とは、「メッセージ」でもあると思います。
宗教的には、それは神であったりするのかもしれません。
そういう観点では、宗教の力は凄まじいです。
自分にとって都合の悪い現象に対して、
「運が悪かった」
「〇〇のせいだ」
などそこで思考を止めてしまいがちになります。
しかしながら、都合の悪い出来事をどのように捉え直し人生に活かすことができるかを問うことが重要です。
半ばマインドセット的な話になってしまいましたが、「人生の本質じゃねコレ」と感じています。
来年に向けて
学生最後&厄年&年男なので、学生らしい(?)ことをしつつ、フッ軽な1年を過ごします。
めちゃくちゃ良い出来事と、めちゃくちゃ悪い出来事があると思いますが、その度にこのnoteを思い出すつもりです。
それではよいお年を!