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金子みすゞの詩『麥のくろんぼ』について
昨夜の【オンラインみすゞ塾】も濃かったなーーー!
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取り上げた5編のうち、『麥のくろんぼ』は、特にガツンときた。
私は【金八】世代。
そして【腐った蜜柑】の側だった、元ヤン。
どーーーしても、その立場から読んでしまう。
だから【抜かれて、焼かれる】のか…と、イタイのです。
ってな話をしたら
「ちょっといいですか」と一人の塾生。
「うち農家だったんで、作物をつくる立場からすると、病気が広がってしまったら死活問題なわけで」。
おおーーー
そうか!その視点は私には無かった。そうね。抜く側だって、好きで抜いてるんじゃないかもしれない。
「ごめんよ」と痛みを感じつつも、抜かなければ生きていけないとしたら、それも苦しいことですよね。
みすゞがどんな気持ちで書いたかは分からないけれど、「色んな見方ができるんだね。そんなふうに書けるなんて、やっぱみすゞって凄いよね」と、みんなでワイワイ。
ってことは、朗読もさまざまにやれるってわけで。
学校大っ嫌いだった私としては、大っ嫌いだったセンコーの顔を思い浮かべて、めっちゃ猟奇的な読みにするとか…なんて妄想してました(爆)。
でも塾生の話を聞いて、私の朗読、稽古の時と劇的に変わりました。
20年続けても、まだ発見の連続。
一人では、こうはなりません。ワイワイできる仲間って有り難いです。
で、この詩は、西條八十が主宰していた『愛誦』という雑誌の昭和2年3月号に掲載されました。
以下は、掲載された表記。
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JULAの仕事は不正確です。
『愛誦』の原本に当たってないので、上記の表記が正しいかはさだかではありません。
も一つ言うと、タイトルのところのは、旧全集の表記で金子みすゞの自筆遺稿の通りということになっています。
が、金子みすゞ記念館の検索室で自筆遺稿を確認してない詩なので、これまたJULA出版の表記が正しいかは、さだかではありません。
昨夏、執筆中の伝記で取り上げるうちの75編だけは、検索室で確認してきましたが…
あまりの酷さに開いた口が塞がらなかった!!!
何年かかろうと、検索室へ通って、512編全ての表記を確認してくる所存です!!!
とりま、それはいったん横に置いて
濱へ出るのに、『愛誦』の掲載作では3連目【畦を伝うて】行くとあります。
遺稿では、【小径づたひに】行くとあります。
私はこの詩はみすゞの生まれ故郷、山口県長門市仙崎の風景が元になっていると観ています。
仙崎は小さな小さな町で、夏蜜柑畑はありましたが、畦のあるような田圃はありませんでした。
二十歳で移り住んだ下関は大都会で、もし下関の風景だとしても濱へ出る道に畦や麦畑はなかったです。
となると、みすゞはたぶん、いや絶対に浜へ出るのに【畦を伝うて】とは書かない。
『愛誦』を主宰していた西條八十が、手を入れたとしか思えません。
仙崎で浜へ出るには、まさに【小径づたひに】行きますから。
重箱の隅の宝さがしって、ほんと楽しいわ。
それにしても
あの方だったら、この詩も【優しさ・思いやり】で一括りにするのでしょうね。