【しょうへいコーチ】自己紹介⑤社会人編(戸出スポーツ塾#1)

2016年春、戸出スポーツ塾はじまる。
実家に住み、始めたことがいくつかある。
先ずは自分が育った地元の小学校のサッカーチームの指導である。これはボランティアで運営されているスポーツ少年団である。いわゆるスポ少というやつだ。知っている指導者が半分以上残っておられた。皆、快く僕を受け入れてくれた。指導者は皆、基本的に自分のこどもがチームに入団したのをきっかけに指導者として関わり続けている。素晴らしい人たちだ。こどもは少子化で昔よりグッと減った感覚はあったが、西部小と東部小が合併したチームに変わっていたので全学年で40人程度。指導者は4,5人で毎回来れるわけではなく、人手不安であった。
はじめは全てのカテゴリーの練習と試合に出て、全員の名前と顔を覚えるようにした。チームの代表はとても気さくに話すことができる人で、自分が始めようとしている事業にも協力的だった。チーム内で宣伝の機会を作っていただけたこともあり、3月末に予定していた戸出スポーツ塾の体験会には、20名程の参加があった。地元の若い指導者ということもあってか、どういう人がやっているのか興味も含めての参加であったと思う。その他にも、散歩が日課のおばあちゃんにチラシのポスティングを手伝ってもらったり、新聞折込や街のお店に置かせてもらったりして少しずつ参加応募の連絡があった。

戸出スポーツ塾の事業内容は、週1回月替りでいろんな種類のスポーツに親しもうというもの。とにかくいろんなスポーツと出会い、体験し、上達し、好きなものを見つけてもらうことが目的だ。好きなものが一つ見つかれば、それを軸にしてガンバもよし。どのスポーツのレベルを上げるもよし。スポーツを通して得られる楽しさを知るとともに様々な運動能力と、対人コミュニケーション能力、そしてチャレンジ精神を身につけて、自分に自信をもち楽しく生きる力を育ませたかった。そう、人生を楽しく生きる術のヒントを得てほしいのだ。

一番初めの入会者はなんと年中さんの男の子だった。もともと、小1から中学生、大人を対象にしていたのだが、基本的にだれでも受け入れたい気持ちがあったので入会してもらった。
A君、年中さん。体験時はひとりで、ものすごく人見知りだった。家ではものすごく活発に動きボールを良く投げて遊んでいるという。下には1歳に満たない妹がいて、お兄ちゃんである。
大きな体育館にたくさんの道具が並んでおり、僕の声とお母さんの声だけが響いている中、顔と身体が固まったままのA君からはものすごく緊張している様子が伝わってきた。ボールを転がしてみて「投げ返してみて!」と言っても目線と身体の向きが固定されていた。これにはツッコミどころ満載だった。泣きそうになるわけでもなく、やろうという感じもなく、気持ちが読みとれなかった。どうしたら注意を惹きつけられるか考え、リフティングをしたり、ジャグリングしたり試しても、動じなかった。
楽しい雰囲気は作ったけれどこの反応ということは「この場自体にまだ慣れていないのかな?」と思い、気持ちを落ち着かせるためにも彼に注目が集まらないよう一旦車の中で休憩することを促した。
「好きな曲を聴いたり、お母さんとおしゃべりしたり、少し眠ったっていいよ!落ち着いて、またよかったら来てよ!」
と彼に伝え、僕は次に何をしようか準備することにした。すると案外早く、5分ほどで戻って来た。自分の意志で戻って来たのだと思い、声をかけた。
「少し元気でた?ボール転がそうぜ!転がすからパッと捕まえてね!いっくよー!」
すると、ボールを目で追い、ボールへと身体が動いた。
「ナイスー!ほいっこっちこっち!」
ボールを地面につけて「えいっ!」と転がした。ボールでコミュニケーションは取れそうだ。ちょっと変化を加えてみようと思い、後ろ向きになって股の間からボールを転がした。
するとこれもマネしてくれた。彼は初めて笑った。それからは、いろんな変な投げ方をやってみたりしながら、足でボールを蹴り、動きをサッカーっぽく繋げていった。A君は何かが弾けたようにそこからは泣くほど笑ったり、腹を抱えて全力で笑ったりしていた。
「あ、スポーツっていいな」
まさにそう思った。

A君の他にも、いろんなスポーツができるようになりたいというサッカーをやっている男の子が4人入った。彼らは、スポーツを純粋に楽しんでいてとてもいい子たちだった。
習い事におけるスポーツというのは、近年早期専門化が進んでおり、それは大きな弊害を産んでいる。その一つとして、今も昔もそうだがスポーツの能力レベルの差が交友関係に大きく影響を及ぼしてくるという点がある。例えば、うまいやつらは固まって自分らより下だと思ったやつらをバカにし、また下のやつらは上に対し遠慮してしまっていたりあきらめてしまっていたりすることが少なくない。これは特に小学校高学年においてより顕著である。どちらの立場の思考も人が成長するためには克服しなければならない重要課題である。
これらの課題に対しアプローチできることはいくつかあるが、一つをここで紹介する。
指導者が、普段与えられた指導時間の中で子どもたちにどう接しどう良い方向に変えて行けるかを考えることである。
現状を自分が全部説明して解決するというのは指導者としてあるべき姿ではなく、ただの対症療法であり、かつ子どもたちが考える機会を奪ってしまっていると考えられる。つまり、人はこうあるべきだと強く決めつけるのではなく、どうあるべきか一緒に考える場を作れる力を持ち、それを実践し、実際に良い影響を与えられたとき初めて良い指導者だったと言うことができる。

つづく。

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