木の枝でお弁当を食べた祖母との思い出
こんにちは。 五十嵐純子です。
こんなタイトルですが、今日は脱プラの話です。ちょい長です。
私には6歳上の姉がいるのですが、小さい頃、よく私達姉妹を祖母が哲学堂公園へ連れて行ってくれました。
哲学堂公園は東京の中野区にある広々とした公園です。
距離的に当時住んでいた家と、祖母の家の中間あたりが哲学堂だったためよく行ってたのかと思われます。
それで、祖母がお弁当を作ってくれ、公園の中でシートを敷いて食べるのですが、ある時 祖母はお箸を忘れてきてしまったんですよね。
すると、小枝を拾いはじめ、それをハンカチで拭って これで食べましょう と言ったわけです。
正直言って、私はその出来事をぜんぜん覚えていないのです。
たぶん 5歳か6歳くらいのことだったはずですけど。
でも、そのことは姉にとっては衝撃的なことだったらしく、その後ことあるごとにその事を私に話すのです。
それで、私としてはまるで自分の記憶のように思い出してしまうわけです。
姉は衛生面とかを特に気にしていたようで、これはいかにも姉らしい話です。私はきっと気にもせず、食べていたことと思います(笑)
コンビニのスプーン有料化?
昨日 Yahooで「プラスチック新法案まとまる スプーン有料化も検討」という記事を見ました。
コンビニでもらえるスプーンや、ホテルのアメニティなど、無料で配布しているプラスチック類の見直しをする という内容のものですが、それに対してどう思う?というアンケートが載っており、
私が見たその時点では、反対が64%くらいでした。
今、ここにリンク貼るために もう一度見に行ったら 77%に増えていました。
個人的にはこれには ちょっと驚いています。思いのほか反対が多い。
いろんな人の意見を見てみると、
「レジ袋が有料になっただけでも、こんなに不便なのに」
「こんな小さなところに手をつけなくても、もっと大きな事業の規制からすればいい」
そんな意見がありました。
本気で個人的には超驚いてますし、悲しいし、複雑な気持ちです。
人類のわがまま、とどまるところを知らない・・・・。
コンビニ大手3社が踏み切れば ちっとも小さなところなんかではないし、相当大きな1歩になるはずで・・・・
でも、このような議論がされるようになっただけでも、最高に素晴らしいことではあると感じます。
「スプーンごとき有料にしたところで何も変わらない。埋め立てをやめるなどゴミ処理の仕方を変えるべき」といった意見も見られるのですが、問題はそーいうことではなくて
とことん便利の頂点まで上りつめた現状に足を止める時が来た ということだと思うのです。
確かに、便利
自分でスプーンを持ち歩かなくていいなんて。
確かに、便利
外でいつでもなんでも買えて、すぐに空腹を満たせる。
でも 便利へ向かう振り子は もうめいいっぱい振り切った という気がします。ここらで一度 戻してもいいんじゃないかな とは思うけど
77%もの人が「スプーンはタダでくれ」 と言ってるくらいなら、なかなか手強そうだな・・・。
問題は そこじゃないのかも
それで、ふと思ったんですけど。
私は 今はコンビニでスプーンをもらうのは、年に数えるくらいなんですけど、
なぜ私がそうなったのか、を考えてみたら、添加物の入ったものを食べなくなったからです。
他の理由なんてなくて、今は脱プラのこともすごく関心がありますけど、そもそもはプラスチックを減らすためにコンビニの食べ物を買わなくなった というわけではなく、食べたら気持ちが悪くなるように体が変わったから、なのですね。
以前は 超コンビニ弁当も冷凍食品も簡単なものは全部大好きでした。
なんて美味しいんだろう って思っていたし、それで満足だったし、本当に便利さに感謝してました。 だって私は忙しいんだもの って思ってたし。
母のパーキンソン病が発覚し、病気に悪いもの、進行を遅らせるために出来ること
父が食道癌になり、少しでも痛みや苦しみを減らす方法はないのか
調べれば調べるほど、添加物を日々摂取し続けることほど、悪いものはない ことを知りました。
同じ頃、瞑想の先生からも 感情やエネルギーが乱れるから 体に毒を入れるのをやめなさい、という話も聞いてたし(←これ本当にそう)
人間、なかなか 便利で簡単 からは離れられないものでしょうけど、自分自身で「こりゃ本当にヤバいんだな」って本当に本心で思うきっかけがあれば、変われるもんです。
水筒を持ち歩く というのは、かなり普及してきている印象なんですけど、水筒を持つ習慣がついた人達はきっと、ペットボトル買う頻度減ってるはずですよね。
たぶん カフェオレという名のいろんなカタカナが入った水 とか色のついた砂糖水 を飲むより、体の調子はいいはずで、あるいは気分が全然いいはずで、お金の節約にもなってて、
そして パパッとペットボトルとか弁当買うより、お湯を沸かしたり、何か作ったりするのは それだけ手間も時間もかかるので、生活を整えたり、ルーティンの変更も必要になる。
つまり、脱プラって プラだけの問題じゃなくて、何を食べるのか どんな生活をするのか、 どんな自分でありたいのか という問題ときちんと向き合ってゆくことなのだなぁ と。
どなたかの本に 確かこんな言葉が書いてあった
簡単で便利なものに 体にいいものは1つもない
って。
と、今日はそんなことをツラツラと考えていて、祖母の木の枝の箸を思い出したわけです。あの日に食べた木の枝は、すっかり土にかえって 分解されているのだろうな。。。。
アホウドリのお腹には大量のプラスチック
もう変わらなきゃ 人間が。
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