GPTかGTPか
東大がチャットGPTを引き合いに出して「人類はこの数ヵ月でルビコン川を渡ってしまったのかも」と述べたのに対し、ネットでは単に「ルビコン川」という言葉を使いたかったからではないかという指摘がある。
そもそもルビコン川とは何か。どうやらイタリアにある川らしく、たいした障害もない小さな川のようだ。それなのにどうしてこんなしょぼい川が、どえらいことの例えのように使われているのだろうか。
だいいちルビコン川を渡るといいことがあるのか。それとも悪いことが起きるのか。
昔、JR東海がリニア新幹線を自前で作ると発表したとき、取材にやって来た記者が「ルビコン川を渡るということか」と追求していたが、これも要するにルビコン川という言葉を使いたかっただけかもしれない。
ルビコン川を渡るとは、背水の陣を敷くとか一線を越えるとか、要するにもう後戻りのきかない状況へと踏み出すことを意味するようだ。これはいいことなのだろうか、あんまりよくないことなのだろうか。たぶんよくないことのような気がする。
とするとチャットGPTの登場というのは、人類にとってよくないことになるのか。東大的には。
チャットGPTは、例えば「ルビコン川についての地理的考察を書け」などと命じると勝手にそれらしい論文を書いてくれるらしい。ウソもけっこう含まれているとのことだが、そこそこの文章には仕上がるそうだ。
となるとしわ寄せが来るのは、私のような文筆業。ヤバいではないか。
とは言うものの、例えば企業のトップの挨拶文が、実はチャットGPTが書いたものでした、なんてことになったらその企業はあんまり人から信用されないだろうし、軽く扱われるだろうから、いきなりそういうことにはならないような気がする。やっぱりちゃんとしたプロのライターがインタビューして書きました、という体裁でなければならないのではないか。未来永劫そうであるかは別として。
だから息子も「チャットGPTの影響はあるだろうけど、ギリギリ逃げ切れるんじゃね」と、私の仕事の行く末を占うのである。それよりも私はガンマGTPの値を心配した方がいいかもしれない。飲み過ぎ注意。
確か以前にもこういうことがあったなあと思い出せば、それは今から20数年前のことだ。世の中にブログというものが誕生して、あっという間に広まったときである。あのときもびびった。何しろどんな素人でも社会に対して発信できるようになってしまったのだから。
文章は上手だけれど中身のない記事と、文章は下手くそだけどすごく面白いネタ我を扱っている記事だと、絶対に後者の方に価値があるに決まっている。ある分野の専門家による気楽な立ち話に耳を傾けるようなものが、ブログなのだから。
そんなものが無数に発信されるなんて、私たち文筆業の仕事はなくなってしまうのではないか。本気でそんなことも論じられたほどだった。
それから25年たっても私は相変わらず書く仕事をしているし、ブログなんてむしろ真偽の程がはっきりしないフェイク情報の代表格扱いだ。
もちろんテクノロジーが仕事のありように大きな影響を与えているのは間違いなくて、例えば編集や広告制作の界隈ではテープ起こしという職業が窮地に立たされている。何しろ音声データからテキストデータを書き起こしてくれるソフトが、無料もしくは極安で使えるからだ。Googleを使えば無料だし、ちょっと精度の高いソフトでも月に2000円ぐらいで使える。
数年前には数万円も払って買ったようなソフト以上の精度が、無料もしくは極安で使えるわけだ。まったくテクノロジーの進化とは恐ろしい。
特に最近使い始めたAUTO MEMOという製品は素晴らしく、テキスト化の精度に加えて、クラウドでずっとデータを預かってくれるという点がありがたい。惜しむらくは月30時間までという制限があることだ。せめて100時間はないとなあ。
こうした製品の登場で従来から必要不可欠とされてきたテープ起こしの人たちの仕事は激減している。生き残っているのは付加価値の高いアウトプットのできる人、例えば専門用語が山盛りの内容であっても誤字脱字なくちゃんとテキストにしてくれるばかりか、丁寧にその言葉の解説まで補ってくれるような仕事のできる人だ。
ここまでくるとテープ起こしというよりもはや編集もしくはライターに近い。
話をチャットGPTに戻すと、そんなわけで私としての見解は今は様子見だけれど、そんなに驚くほどの影響はないのではないかといったところだ。
例えば「サザエさん」では声優さんたちが亡くなって交代しており、サザエさんご本人もいずれ、というところにある。しかしあんな程度の会話しか交わされないアニメなのだから、これまでの音声データを加工すればいくらでもセリフは作り出せるはずだ。たいした作業ではない。
実はそんなことはとっくに実証済みで、アニメのセリフなんて簡単にAIが代行できるけど、それをやっちゃうと声優さんたちが一斉に仕事を失っちゃうので、あえてやらないのだという説がある。これは説得力がある。
そんなことになったらそれこそルビコン川を渡ってしまって、もう引き返せなくなってしまうだろう。
なお東大ではチャットGPTの登場によって教員のレポート確認作業が大変になるとしている。本当に学生本人が書いた論文なのか、吟味しなければならないからだ。
テクノロジーの進化で人間が余計な労働を強いられるようになるというのは、人間がAIの手下として顎で使われるような感じがして、あんまりいい気はしない。