こゆーざ

某メガバンクグループの役員にインタビューする。
業界の課題は何だという私の問いに対して役員は答える。「FDだ」と。
この答えに私は一瞬、けっこうな違和感を抱く。
FD、すなわちフェデュラリー・デューティが言われたのはかなり前ではなかったか(後で調べたら2016年とか、そのあたりだった)。そもそも顧客の利益を最優先に考える、つまり顧客第一という発想はどんな商売にも当然のことではないのか。それなのに金融業界は5年も6年もたっても、そんな簡単なことがまだできていないというのか。

軽い衝撃とともにそんな突っ込みをしようかと思ったのだが、ここはそういう場ではないし、これ以上の合理的な論を展開できるわけでもないし、ははあ、それは悩ましいですねなんていう無難な受け答えでスルーしてしまった。
その後、インタビューは順調に進み、話は発展しておよそ1時間。役員は気持ちよく話し終えてくれたのだった。

金融は苦手な業界であった。以前から金融業界の仕事だけは勘弁してくれえと逃げ回っていた。
だから毎週一回、金融について好きなテーマで書いていいという仕事が来たときも、逃げようとした。だが結局逃げ切れずに引き受けることになってしまった。

好きなことを書いていいというのは、何を書くか、自分で決めなくてはならないということである。実はこれがライターとしては一番難しいところなのだ。
「どう書くか」というのは、技術と経験でどうにでもなる。たとえ読んでいない本だって、読まずに読書感想文ぐらい書けてしまうのがライターだ。だが本が決まらないと何も書けないように、テーマから自分で決めなければならないというのは案外難しいことなのである。

とはいえ、引き受けてしまったものは仕方ない。
とにかくテーマを見つけなければ始まらないから、私は毎朝、日経新聞で金融業界の記事を見つけては読み込んでGoogleKeepにクリップし、関連情報をネットで調べるということを繰り返した。それで毎週、何とか一本の原稿を仕上げた。
もちろんネタなんてすぐに尽きるから、テーマ探しには毎週難航し、ヒントがあればすぐにクリップするようになった。

同時期に手がけることになったのが、某地方銀行の仕事である。フリーテーマで金融業界について書くのが俯瞰的な鳥の目だとすれば、地銀の現場を取材して書くのは地を這う虫の目だ。この地銀については3年ほど、べったり仕事をすることになる。

こうして金融業界全体を見つつ現場の話も聞くということを数年続けたところ、自分でも意識しないうちに金融についての理解は深まり、何となくわかるようになってきたのである。今でも決して得意ということはないが、少なくとも、苦手だから勘弁してくれえと逃げ回るようなことはなくなったわけだ。
おかげで今日のようにメガバンクの役員にサシでインタビューできるようになった。FDが業界の課題と言われて、なんでフェデュラリー・デューティが、と疑問に感じるぐらいには成長したのである。
西川きよしではないけれど、まったくもって「小さなことからコツコツと」というのは大正義なのだと実感するのだった。

とまあ、以上はもちろん私の自慢話である。誰も聞いてくれないから一人、黙々とパソコンに向かって自慢話を書き連ねているのだった。
などと書いていたら、ヨメから「三遊亭小遊三さんだ!」という写真が送られてきた。

三遊亭小遊三とは、あの「笑点」にレギュラーで出ている落語家である。
数年前、息子と一緒に池袋の演芸座へ落語を聞きに行ったところ、高座に上がったのが三遊亭小遊三だった。
私は落語に関しては全くのド素人である。話もよく知らない。そんな私でも、いろいろ上がった落語家たちの中でこの小遊三が群を抜いて上手いということは、すぐにわかった。ド素人がすぐにわかるぐらいなんだから、きっと本当に上手いのだろう。
そんな名人落語家がなぜに。

今日は酉の市である。二の酉だ。
出かけていたヨメは、帰りに地元の大鳥神社に立ち寄ってお賽銭を投げているはずである。そこになぜ小遊三が。
送られてきた写真を見たら、小さな熊手屋の前で熊手を掲げて、柏手を打ってもらっているダウンジャケットに毛糸の帽子とマスク姿のおじさんが小遊三師匠らしい。ヨメによると境内で並んでいたら「小遊三師匠の熊手がどうのこうの」という声がしたので横を見たら、本当に小遊三が熊手を持ってニコニコと笑っていたというのだ。

小遊三師匠が近所に住んでいるらしいというのは知っていたが、どうやら同じ街だったようだ。それで地元の神社に熊手を買いにきたのだろう。
こんな有名人が、地元のこんな小さな神社の酉の市に弟子らしき人間も伴わずに夫婦でちまちまとやってきて、ニコニコしながら家内安全を願って柏手を打ってもらうとは、なんともほほえましいことだ。
たまたますぐ近くで目撃し、柏手を聞かせてもらったヨメにとっては、けっこうな縁起物である。いい福をもらったことだろう。

その数時間前には、娘を連れて私もお参りをしてきた。娘は去年、ここで熊手を買って合格祈願の柏手を打ってもらった。そのお礼参りにお賽銭である。
駅前再開発がようやく動き出して、これから街の景観が大きく様変わりする。それに伴ってこの神社も来年から5年間、場所を移すことになるそうだ。現在の神社での酉の市はこれが最後ということになる。
そんな節目に小遊三という縁起物を見たことは、大変なことの多かった今年のヨメへの、ねぎらいでもあったに違いない。
来年はきっといい年だ。(2022.11.16)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?