笑う官僚
虎ノ門で飲むのは初めてである。
都心の完全なオフィス街にもちゃんと居酒屋はあって、立ち寄ったのは実に昭和な店。広い店内には6人がけのテーブルがぎっしりと並び、大勢の人たちがワイワイガヤガヤと飲んでいる。
もちろん路面店。地下などではない。私は地下の店と高層の店が大嫌いなのだ。路面店こそパラダイスである。
今私はワイワイガヤガヤと書いたが、実際はそんなことはない。実に穏やかで行儀よく、あえて言えば上品に飲んでいる客ばかりだ。大声を上げる客など皆無。喫煙が許されているのか、たまに電子タバコを楽しんでいる人もいる。
店の造りこそ昭和でも、似たような池袋の店とは大違い。池袋では客がしょうもない下ネタに爆笑し、負けじと中国人の店員が絶叫する、そんな底辺の店ばかりである。
だがさすがに虎ノ門は、同じ昭和居酒屋でも違う。
混んできて6人がけのテーブルに相席することになると「失礼します」「どうぞどうぞ」という挨拶が交わされるのだ。なんという民度だろう。
なぜならここは霞が関の官僚が集う店だからだ。霞ヶ関には居酒屋がない。従って彼らは仕事を終えると、新橋か虎ノ門、時には有楽町まで足を伸ばし、そしてお疲れ様の一杯を楽しむのである。
この虎ノ門の店も官僚だらけだった。民間、しかも自営業なんてオレたちのグループだけじゃないかっていうぐらい。
「ネクタイをしているのがノンキャリで、ネクタイをしていないのがキャリア」と連れが教えてくれた。なるほど、わかりやすい。
隣の2人連れはノーネクタイの30代後半。きっと天下国家を論じているに違いない。あるいは今日発表された日銀の次期総裁人事についての話題か。その向こうの3人組の50代は、1人がかなりラフな格好なので、民間に転職したOBが遊びに来たので久しぶりに昔の仲間で一杯、ということだろう。
遠くのテーブルの女性混じりの5人組は、なんだか楽しそうに盛り上がっているが、実に穏やかに笑っている。決してぎゃはははと笑わない。口に手を当てておほほほだ。
すげえな、官僚の飲み会は。
ここでの会話から明日の日本の行く末が決まっているのかもしれない。
いい店だ。
それにしても虎ノ門は変わった。虎ノ門ヒルズができて街は一変。改札口を出ても、もはや自分がどこにいるのかもわからない。学生の頃は虎の門病院に行くのにたびたび訪れていたのだが、あの頃の佇まいはもはや残っていない。
気持ちよく飲んでしゃべって、電車に乗って帰る。
地元の駅で、息子と待ち合わせだ。インターシップ最終日だったきょう、息子は新しく知り合った仲間たちと池袋で軽く飲んで、これから帰ってくるらしい。ならば駅で落ち合って一緒に帰ることにしたのである。
今夜はえらく冷えて北風も強く吹き付けている。ちょっと贅沢だが寒いので、タクシーにしよう。
後部座席に乗り込んだら高齢の運転手が「現金だけですがいいですか」と一言。もはや電子決済のできないタクシーはレアだ。トラブル防止のためだろう、心労をお察しする。
夜の街を走りながら息子に、お前は公定歩合を決めるような人間になるんだぞと言ったら「何言ってるんだお父さん、公定歩合なんてもうないんだぞ」と呆れられる。そそそ、そうだったのか。私の頭は昭和だったか。