1310

藤子不二雄Aが亡くなったことが大きく報じられているが、私にとっては4月7日に中川イサトが逝ってしまったことのほうが衝撃だった。

中川イサトはギタリストである。
出発点はあの五つの赤い風船。つまりは昭和のフォークだ。
グループ解散後は、ソロギタリストとしての道を歩く。スタジオミュージシャンになったら稼げるのにといろいろと声もかかったらしいが、頑として断ってソロギタリストとしての道を歩く。生活費はギター教室の講師などで稼いだそうだ。

そんな道をとぼとぼと歩いていた70年代後半、中川イサトはついにアルバムを出す。オールギターソロのオリジナル曲を集めたアルバムだ。
録音が終わって発売に踏み切るかどうかを決定する取締役会の席上、このアルバムを聴いたレコード会社の役員は「いったいいつになったら歌が始まるんだね」と担当ディレクターにたずねたとか。
フォークなのに歌がないなんてあり得ない。ギター音楽といったらクラシックかムード音楽だ。そんな時代にアコギ一本のソロ曲集を出すとは、まあ、レコード会社も思い切ったものだ。というか、別にどうでもよかったんだろう。

この「1310」というアルバムは、それでもギター少年たちにとっては一つの金字塔。私も、日本にもこういうアルバムが出たんだと驚いたものだった。ここに収録されていた「狐の嫁入り」「六番街ラグ」は名曲。アコギ演奏のスタンダードとなっていまも受け継がれている。

このアルバムのあとも中川イサトは相変わらずマイナーな存在で、ギター教室で働きながら好きなソロギターを弾き続ける。
30代~40代にかけてのこの時期、中川イサトはマイナーレーベルからほとんど自費出版に近いようなCDを何枚かリリースしている。それらは今聴いてもけっこう瑞々しくていい。
その後2000年代にアコギブームが到来。ギター教室で学んでいた押尾コーターローなどがプロとして脚光を浴びると、その師匠ということで中川イサトも注目されるようになり、少しは陽の当たる道を歩けたんだろうと思う。

どんな仕事でも10年やりきれば、たとえ一流になれなくても、それで食っていける。そんな生き方を私は中川イサトから教わった気がする。
そうなのだ、決して一流ではなかったのだ。ギタリストとしては。
技術的に見ればもっとうまいアマチュアがたくさんいるレベル。演奏は人のパクリが多く、特にマイケル・ヘッジスもどきのタッピングやレフトハンド奏法は、まんまマイケルやんけという感じだ。
オリジナル曲もワンパターンで、特にサビの部分は平衡短調のクリシェ(Am→Ammaj7→Am7→Am6)ばかりだ。どの曲を聴いても、またかよと思ってしまう。

ライブにも足を運んだ。
ギターの弦高を思い切り低くして、しかも半音下げたチューニングにしていた。そのためたいした握力もいらずに弾けるようになっていた。
服装はヨレヨレのTシャツにジーパン。およそ大人が金を稼ぐために人前に立っていい服装とは思えず、なんだこりゃと呆れたものだった。
本人は、自分のやっているのは見てくれのエンターテインメントではなくてアートだから服装なんて関係ないと言っていた。アートの極北のクラシック畑の人たちはスーツ姿で演奏しているのだが。
そのステージでは他のギタリストの演奏を酷評していた。同業者への批判を、公の場でするのはモラルとしてどうよと、ちょっと呆れた。

そんな具合にいろいろと面倒くさいキャラで、かつギタリストとしても一流とは言えなかったが、しかし日本になかったアコギのソリストという道を独力で切り拓いたのは掛け値なしに賞賛に値する。パイオニアであったことは間違いない。それに見合うだけの評価と稼ぎはついてこなかったと思うが。

私も中川イサトの曲はずいぶんと弾いた。テクニックも学んだし、変則チューニングも教わった。
決して一流ではないと書いたが、だからこそ私程度が真似して弾くにはちょうどよかったのだ。マイケル・ヘッジスなんてとても弾けないし。
「狐の嫁入り」「六番街ラグ」「オレンジ」「マージャンピース」「鹿踊り」「シャドー・シティ」。
こうして並べると耳に心地よい曲ばかりだ。サビは全部同じクリシェのワンパターンだけど。(2022.4.8)

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