百姓一揆と村八分

J1からJ2に降格することを「沼に落ちる」と言う。一度落ちたらなかなか浮かび上がれないという意味だ。
そんなことないだろうと思われるが、千葉やヴェルディを観ていればこの言葉の恐ろしさがよくわかる。20チームが40試合以上も戦って、上位2チームしか昇格できないという実に恐ろしい沼なのだ。世界一難しいリーグとさえ言われる。
なんとアルビレックスもこの沼に落ちて5年もたってしまった。だが今日やっとJ1復帰を決めた。ついに沼から出ることができたのだ。

実は「沼に落ちる」にはもう一つの意味がある。案外面白くて居心地がよくて、出たくなくなるという意味だ。確かにJ2は面白い。全国各地の田舎にチームが散らばっていて応援に出かけるのが楽しいし、なんといっても戦術のバラエティが楽しい。
弱くて下手くそなことを自覚しているから思い切って極端な戦術を採るチーム(秋田とか岩手みたいに)もあって、それらとどう戦うかという純粋にサッカー的好奇心も刺激される。
オレらは下手くそだから必死で走る以外にないんじゃあという振り切ったチームの試合は、それはそれでとても興奮するのだ。
そんな具合に長くいればいるほどJ2が楽しくなって、気がつけば沼にハマってしまうのである。

アルビレックスも危ないところだった。5年もいたら、すっかり居心地のよさに慣れてしまっていた。まさにぬるま湯だ。
いや、このままじゃダメだ、オレたちはやっぱりJ1にいるべきクラブなんだ。
そのことに気づかせてくれたゴメスや本間至恩には感謝である。

ゴメスは札幌がJ1に昇格した年のレギュラーなのに、その年にあえてアルビレックスに移籍してきた。そして移籍した年にアルビレックスはJ2に降格してしまった。
「オレが落としてしまった」とゴメスは自責の念に駆られたそうだ。
降格が決まったゲームでは、スタンドから自然発生的にアイシテルニイガタの大合唱が起きた。誰がリードしたのでもない、自然なものだった。どこのチームでも降格が決まるとスタンドは罵声に怒号で大荒れになる。だがアルビレックスのスタンドは違った。
そのスタンドを見上げながらゴメスは「こんなクラブ、他にないよなあ」と仲間と話したという。
そのゴメスが、ゲーム終了の瞬間、ピッチにうつ伏せになって号泣だった。
よかったなあ、ゴメス。
オレたちは祝福と感謝で、全力で拍手する。



2016年は吉田達磨のポゼッションのためのポゼッションを見せられて愕然とした。
2017年はフミタケのホニ頼み縦ポン行ってこいサッカーに唖然とした。
2018年はボケじじいの、苦しゅうないよきにはからえサッカーに呆然とした。
2019年は片淵→吉永の部活サッカーに諦めの境地に達しかけた。
そして2019年の11月。
買い物のために向かった西友の地下でオレは謎のスペイン人が監督になるという驚愕の報せにのけぞり、売場をうろついていた息子の首根っこをつかまえて、これを見ろとスマホの画面を突きつけたのである。その瞬間息子は大きく目を見開き、息を止めて、ひっくり返ったのだった。
だだ、誰だこれ。なんなんだ、何が始まるのだ。これがアルビレックス史上最大の転換点を迎えた瞬間だった。

やってきたスペイン人は日本ではまったく無名だったが、聞けばあのバルサでペップ・グアルディオラの片腕の片腕ぐらいの仕事をしていたという。
アルベルト・プッチ・オルトネダ。
このスペイン人はアルビレックスの選手たちのあまりの下手さ加減に驚きつつ、徹底してポゼショナルプレーを叩き込んだのである。
プッチは回想する。「本間至恩は守備のことを何も知らなかった」。そのレベルの選手たちのケツを叩いてポゼショナルサッカーを教え込んだのである。

それはオレたちサポーターも同様だった。この年、オレたちは驚愕する。
どどど、どうしてこの選手たちはボールを前に蹴らないのだ。すぐにバックパスして後ろでボールを回しているんだ。なぜ攻めないのだ。
当時はバックパスのたびにブーイングが起きたほどだった。
そんな状態で2年間、プッチは徹底してポゼショナルを叩き込んだ。そして21年には怒涛の13連勝も記録するほどに急激に強くなった。

アルビレックスはそれまで反則ブラジル人を頼りに縦ポンの行ってこいサッカーだった。百姓一揆サッカーと呼ばれた戦術である。それが180度変わって、ブラジル色は一掃され、完全にヨーロッパサッカーに変わったのである。そのポゼショナルサッカーは、相手を寄せ付けない村八分サッカーと呼ばれている。
百姓一揆から村八分へ、アルビレックスのサッカーはまったく変わったのだ。かつてはブーイングだったバックパスも、今では拍手が起きる。バックパスで大きな拍手なのだから、信じられないほど変わったものだ。

一方でオレたちは気づく。プッチでは勝てないと。
結局のところプッチは教育者であって勝負師ではないのだ。選手が成長するなら目先の一勝を失ってもいいと考えるのがプッチなのだ。育成の人なのである。
そこで22年、オレたちはポステコグルーのマリノスを知っている松橋力蔵にチームを委ねる。松橋は攻めを知っているのだ。
その結果どうなったかというと、ポゼッションのためのポゼッションではなくて、ショートカウンターのためのポゼッションというサッカーができあがったのである。これはけっこう重要なところだ。

つまり村八分で相手を寄せ付けないでおいて、いざというときに電光石火の百姓一揆で攻め込むのである。
ポゼッションはあくまでカウンターのための手段なのだ。だからこそカウンターの鋭さが際立ち、あまりの電光石火ぶりに相手はなすすべもなく立ち尽くすというサッカーが完成したのである。
プッチが2年間かけてポゼッションを叩き込んでくれたおかげでこれができた。
プッチがいなかったら今のサッカーはできなかった。
だがあのままプッチが残っていても、今のサッカーはできなかったのである。



J2暮らしが長くて、J2でいっぱい勝って、楽しかったなあ。
でも来季はJ1。いきなり残留争いに巻き込まれて、目標は残留という状態に陥るだろう。やれやれ、やっぱりJ2のほうが楽しかったんじゃね?
そんなことが予見されるから、せめて今ははしゃごう。今はしゃがなくていつはしゃぐのだ。
サポーターたちはそんな思いで泣き笑いである。
さらばJ2。達者でな。オレたちはもう戻ってこないから。たぶん。きっと。メイビー。キサ・キサス。(2022.10.8)

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