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たぴにつき ♯23

あんにょん、最終日。

7時半起床。前の夜に眠れなかったことが効いているな。
もっと早く起きて歩き回りたかったけど、仕方ない。

用意をして行こうとしているタイミングで、相馬さんから連絡がある。
okuさんは休んでいるけど、相馬さんは散策したいとのことで、一緒に。

一昨日泊まったガロホテルを見てもらう。

で、昨日のマーケットへ再び。

「撮る」というのは、どうしても「収奪」という感じがするので、気の弱い人間にはなかなかキツイ。
しかも、ネット社会になって、スナップなんて、本当に撮りづらくなった。

それを「生きづらい」と感じる部分もあるけど、「本来、撮影とは暴力的なもの、それが露見しただけ」とも思う自分もいる。

わたしよりタフな相馬さんでさえ、直接、人を撮ったり、店を撮ったり、そんなにはしていない。それなりに気をつけているそうだ。

今回の旅で発見したことのひとつ。
相馬さんとわたしは、いろんな資質が正反対なのだけれど、
ずっと、「相馬さんは大胆(大ざっぱ)で、わたしは繊細(神経質)」という印象を持っていた。
もちろん、それは相馬さんの作風においても、人間関係を切り開いていく力としても、武器であり、弱点でもある。
それはわたしも同様で、武器であり、弱点。
ただ、やっぱり、そんな相馬さんでも繊細に配慮している部分もあったりすると気づくことが何度かあった。
もちろん、「大ざっぱだな~」と思うことも、やっぱりあったけど(笑)
当然、相馬さんも同様に「神経質だな」と思っていたことだろう。

okuさんは、わたしと近い、繊細なひと。
やっぱり凸凹でちょうどいいのだろうか?

いや、元妻はまさに相馬さんタイプだったけど、うまく行かなかったかなら、、、相性とは難しいですね。

元妻とも、今ではとても仲良いので、「距離」があると相性もいいのだと思う。相馬さんとも、たまに会うから丁度いい。
たぶん、毎日だと発狂するかも。
「こっちのセリフだよ」と相馬さんも言うだろう。

相馬さんは今日も猫を探している。

ミントグリーンとか、淡いピンクとか、なんかいい。

昨日のエッチなホテルを思い出す。

猫はいないけど、何かあったり。


相馬さんといると、視覚まで相馬化してきて、現実の何気ない風景から物語が流れ出してくる感覚に襲われる。

むかし、あがた森魚さんとずっと一緒に映像をつくったり、音楽をやったりもしたけれど、
「あがたさんはフィクションの人だな」「足し算の人だな」と思っていた。
わたしはやっぱりドキュメントというか、引き算というか。

ユーストリームという、今の配信のはしりみたいなものがあった時、
あがたさんのライブをわたしが撮影して生で配信する試みをやったことがある。

ライブを中継するのではなく、配信用に演奏し、カメラが観客の前で、観客の邪魔になるのを気にせずに撮り、放映し、その一体全体を、現場の観客にも見てもらう感じの。

チラシには書いてないけど(チラシはわたしの手作りです)、一応、わたしが「演出」という立場だった。
鋳物工場のライブで、「鋳物工場が最高の舞台なのだから、余計な装飾などいらない」とわたしは主張したけれど、あがたさんは「それではおもしろくない」と言って、工場の天井あたりから、布を垂らすなどの演出をした。

どっちがよかったともわるかったとも思っていない。
「あがた森魚ショーなのだから、それでいい」と最終的には思っただけで。

日記映画を作っている時も似たことがあった。
2007年1月~8月号の編集(共同監督)をわたしがを担当したのだけれど、
あがたさんが蜷川幸雄さんの舞台に出ている関係で、稽古場でカメラを回せないので、稽古場への行き帰りの映像だけで作品を組んだ。

わたしは「有名人の日記映画」をつくろうとは思っていなかったし、
「日常性」ということもテーマのひとつだったから、
サラリーマンの日常のような作品になったことを、
「やっと日常が作品化できた」と嬉しかった。
何も起こらないのは「日記映画の集大成だ」とさえ思った。

けれど、「これじゃツマラナイ」と言われて、その上に音楽を塗りたくられてしまった。
これに関しては、正直、「台無しになった」としか思っていないけれど、
共同監督であり、あがたさんの作品でもあるし、
何より、もう毎月編集して上映することに疲れ切っていたから、
やり合う力も少しも残っていなかった。
それで、8月号を最期に、わたしは日記映画を去った。

その作品の責任転嫁をするつもりは毛頭ない。
「思ったような作品にならず、辞めていくわたしの記録として刻印される」ことも作品のうちだと思っていたから。
イイワケではなく、「作品だけに還元されない人生と上映活動が連動した運動体」としてやっていたことなので。

上記のことに関して、共同監督としての対等なやりとりだから、
昨今の「パワハラ」みたいなことは1ミリも思わない。
あがたさんとは色々、ほんとうに色々あったけれど、
「上から」何かを言われたことは、長い付き合いの中で1度もない。
いつだって対等に怒られた。
だから、溜まりに溜まれば、こっちも怒った。あるいは逃げた。

大人になってケンカをした記憶なんて、
恋人以外とは、あがたさんとくらいしかない。

ぶつかり合いを避けたらいいものは作れないとわたしは思っている。
ただ、ぶつかってばかりいたら、長くは続かない。
難しいですよね。

いずれにせよ、大御所なんてもんじゃない立場の人が、
何者ともわからない若造のわたしと対等にものを作ってくれたことを、
今でも心から感謝している。
そこから学んだことは、本当に多いので。

それに日記映画に関しては、中島(中縞)信太郎くんのサポートがなかったら、8ヶ月も続かなかった。
その中島くんは、9月以後の共同監督(編集)になった。
今頃、どこで何をしているのか。
映画、あるいは表現を続けているだろうか?

話が脱線してしまった。

表通りがあれば、裏通りがあり、
そこには光が差していないことだってある。

道を挟んだところには、高層ビルディング。

あがたさんがそうであるように、相馬さんは足し算の人。
世界を「創造」していく人。

わたしは引き算の。
世界を視る、あるいは受け止めるだけの人間。

ドキュメンタリーは辞めたけれど、
たぶんずっとドキュメンタリー的な資質でものを作っていくのだろう。


だから今日も、地味に地味に、路地を歩いていくしかない。


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