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グラデーションのない「オセロゲーム」-1
そもそも人間は、「白」か「黒」か、「YES」か「NO」か、
そうやって二極に別けて物事を認識しているものです。
それが、SNSの隆盛によって、極端になってきているように感じます。
とくに「正義」と「悪」について。
そして二極に別れて戦争をしている。
その間について語るひとは稀にしかいないのが現状です。
自分の信じる「正義」から、「敵」か「味方」が色別けされ、
「味方」でなければ「敵」になる。
![](https://assets.st-note.com/img/1731979137-g6M7Jo1ZLaWUuTxcY9O4HKIG.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731979146-HnYiSpWvgwGeu9bj1Ks7d24x.jpg?width=1200)
この二枚の写真は、同じ花なんです。
接写レンズにするアダプターを付けたりはしたと思うけれど、
基本的にはピントの合わせ方の違いでしかありません。
同じ花が、まったく違うものに見えます。
どこに焦点を当てるかで、「赤」と「白」の量まで逆転してしまいます。
わたしはドキュメンタリー映像を中心に作品をつくってきました。
その経験から、「正義」「真実」というものは「ひとつの角度でしかない」と思っています。
編集の仕方によって、世界はどのようにも描くことができるんです。
天才的な能力なんてなくても、ちょっと編集ができる人だったら、
同じ映像素材から、「原発反対」だって「原発賛成」だって描けます。
ナレーションやテロップを使えば、簡単なんてものじゃないし、
そんな小細工をしなくても、「世界の切り取り方」だけでそれは描けます。
(AIや加工もいりません、原始的な編集だけでできるんです。)
![](https://assets.st-note.com/img/1731980053-AiGfedKk54gwDtQ7ahq3yZrP.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731980066-fajMcAuQvHTb24dBFCSJ5o7h.jpg?width=1200)
これは、最初のタイトル画像をトリミングしただけのものです。
切り取り方だけで、世界を「白」にも「黒」にも見せることができるんです。
もちろん、「さすがに、これはやりすぎ(偏向がある)」「リアリティがない」と言われてしまうかもしれません。
![](https://assets.st-note.com/img/1731980319-A8ULpZvBseXKEGMrRmfcFnxO.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731980331-RjVHFUXNrlZ9aI5mDOPkMvE4.jpg?width=1200)
これだったら、「作られたもの(捏造)」とは思わないのではないでしょうか。
これでも「嘘くさい」というなら、もうちょっと引けばいいだけで、すべてフレームの匙加減です。
![](https://assets.st-note.com/img/1731980685-lwvtVGeumdoyOKkiU4IL96H1.jpg?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1731980699-euwENUkajbPigrFWoADzYVL4.jpg?width=1200)
これらは、映像の話だけじゃなくて、世界の視方そのものなので、ポジティブシンキングなどでも言われることですよね。
「いいこと」に視線を向ければ、世界は明るく見え、
「わるいこと」に意識を向ければ、世界は暗くなる。
でも、元の映像は、実際の世界は、こういうもので。
![](https://assets.st-note.com/img/1731980881-PXJ6ENl3aRcx1hF2zuy9n4Vf.jpg?width=1200)
「白」か「黒」、「正義」か「悪」かに拡大された視野だと、
ちょっとほころびが見えるだけで、他の色が混じるだけで、「ウソだ!」となります。
「真っ白じゃない」→「黒だ」とか。
「真っ黒じゃない」→「白だ」とか。
ひっくり返ってしまう。
選択肢が2つしかないからです。
でも、たいていの物事は、
ある角度(フレーム)から視たら「白」であり、
ある角度から視たら「黒」にも見える。
混じり気がある、グレーどころか、マダラなのが世界というか。
「この部分は」「この角度から見れば」白ですよね、黒ですよね。
という冷静な議論の積み重ねからしか、
「事実に近いこと」は見いだせないと思うのです。
「真実」なんてものは、ないというか、
あるとしても複数あるというか。そういうものなので。
「これが実際の世界」と示した写真の外、フレームの外にも、
世界は無限に広がっているのですから。