見出し画像

グラデーションのない「オセロゲーム」-1

そもそも人間は、「白」か「黒」か、「YES」か「NO」か、
そうやって二極に別けて物事を認識しているものです。

それが、SNSの隆盛によって、極端になってきているように感じます。

とくに「正義」と「悪」について。

そして二極に別れて戦争をしている。

その間について語るひとは稀にしかいないのが現状です。

自分の信じる「正義」から、「敵」か「味方」が色別けされ、
「味方」でなければ「敵」になる。



この二枚の写真は、同じ花なんです。
接写レンズにするアダプターを付けたりはしたと思うけれど、
基本的にはピントの合わせ方の違いでしかありません。

同じ花が、まったく違うものに見えます。
どこに焦点を当てるかで、「赤」と「白」の量まで逆転してしまいます。


わたしはドキュメンタリー映像を中心に作品をつくってきました。

その経験から、「正義」「真実」というものは「ひとつの角度でしかない」と思っています。

編集の仕方によって、世界はどのようにも描くことができるんです。
天才的な能力なんてなくても、ちょっと編集ができる人だったら、
同じ映像素材から、「原発反対」だって「原発賛成」だって描けます。

ナレーションやテロップを使えば、簡単なんてものじゃないし、
そんな小細工をしなくても、「世界の切り取り方」だけでそれは描けます。
(AIや加工もいりません、原始的な編集だけでできるんです。)

「白」
「黒」

これは、最初のタイトル画像をトリミングしただけのものです。

切り取り方だけで、世界を「白」にも「黒」にも見せることができるんです。

もちろん、「さすがに、これはやりすぎ(偏向がある)」「リアリティがない」と言われてしまうかもしれません。



これだったら、「作られたもの(捏造)」とは思わないのではないでしょうか。

これでも「嘘くさい」というなら、もうちょっと引けばいいだけで、すべてフレームの匙加減です。

これらは、映像の話だけじゃなくて、世界の視方そのものなので、ポジティブシンキングなどでも言われることですよね。

「いいこと」に視線を向ければ、世界は明るく見え、
「わるいこと」に意識を向ければ、世界は暗くなる。

でも、元の映像は、実際の世界は、こういうもので。

「白」か「黒」、「正義」か「悪」かに拡大された視野だと、
ちょっとほころびが見えるだけで、他の色が混じるだけで、「ウソだ!」となります。

「真っ白じゃない」→「黒だ」とか。
「真っ黒じゃない」→「白だ」とか。

ひっくり返ってしまう。
選択肢が2つしかないからです。

でも、たいていの物事は、
ある角度(フレーム)から視たら「白」であり、
ある角度から視たら「黒」にも見える。

混じり気がある、グレーどころか、マダラなのが世界というか。

「この部分は」「この角度から見れば」白ですよね、黒ですよね。
という冷静な議論の積み重ねからしか、
「事実に近いこと」は見いだせないと思うのです。


「真実」なんてものは、ないというか、
あるとしても複数あるというか。そういうものなので。


「これが実際の世界」と示した写真の外、フレームの外にも、
世界は無限に広がっているのですから。

いいなと思ったら応援しよう!