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アケタさんのこと

天才アケタこと、明田川荘之さんが亡くなられたそう。
あまり追悼的な文章は書かないことにしているけれど、今回は特別というか、感謝の気持ちを書いておきたくて。

そもそも、わたしが日本のジャズを聴くきっかけになったのが、アケタさんと齋藤徹さんのデュオ盤『LIFE TIME』。

以前も書いた中島くんの通っていた大学の近くのジャズ喫茶でのこと。

わたしはジャズも好きだったけど、当時、「ジャズは黒人のもの」と思っていたし、広く見て(白人も含めて)も「欧米のもの」と思い込んでいた。

「一方を高めるために、もう一方を貶める」というのは、このコンプライアンスの時代にあっても、よくあることだけれど(いや、今の方がよりこの力学が強くなっているように思う)、
「黒人の音楽」を賛美するために、「日本のジャズなんて、、、」という言説がもっともらしく言われていた。
それを真に受けて、自分で確認もせずに、「日本のジャズなんて、、、」と何もわかっていないのに思っていた。

イキがって、という訳でもないのだけれど、たまたま古本屋で買った詩人:黒田喜夫の本をその店で出して、中島くんと話をしていると、
その店のマスターは、何かを感じ取ったらしく、
店で流している音楽を『LIFE TIME』に変えた。

わたしは脳天ブチ抜かれたような衝撃を受けた。

わたしのそもそものジャズの入りがフリー期のコルトレーンだから(その前にも、マックス・ローチとか、クリフォード・ブラウンとかは聴いていたけど)、フリーフォームという「破壊」に衝撃を受けたわけじゃない。

「破壊」と「生成」が甘美なまでに融合しているというか、脱構築しながら構築していくというか、そのウネりに衝撃を受けた。

すぐに「誰の演奏だ!?」と確認に行くと、アケタさんと齋藤徹さんのデュオ。

その日から、日本のジャズもよく聴くようになった。

どれくらい経ってからか忘れたけれど、アケタさんのライブにアケタの店に行った。
初めて行った日か、何度目かの時だったか記憶が曖昧だけれど、演奏は最高潮のテンションで、「あ~、これだよ、CDで聴いて興奮していた感覚」と昇天するような浮遊感を味わっていると、勢い余って、ピアノの上に置いていた珈琲をアケタさんはこぼしてしまい、「休憩!休憩!」と。中断。

夢のような時間は、一瞬で現実に引き戻された。

その突然の中断も含めて、「これがジャズだ」という強いインパクトをわたしは与えられた。

それから、何度も通ったわけではない。
「いつでも行ける」と思っていると、なかなか行かないもので、、、すみません。

まだコロナ渦中ではあったけれど、一番ヒドい時期を越したくらいから、熱心に行くようになった。
わたし自身が、より深くジャズを聴くようになったのもあるし、コロナ渦でできることがなかった焦りが、そういう形で鑑賞に向かわせたのだと思う。「今はとにかく吸収する時期」と。

それに、アケタさんがご病気だと知った。
これは本当に失礼な言い方かもしれないけれど「いつ聴けなくなるかわからない」という思いもあって、何度も何度も通った。

ご病気で指が十分に動かないこともあってか、コロナ問題が去っていなかったからか、観客はとても少なかった。
観客がわたし一人という時もあった。

身体が絶好調の時のアケタさんは何度も観たわけではないけれど、動かない身体と格闘しながら、その中で魂を燃やす様は、スゴいものがあった。
音そのものにもスゴみがあったのか、そういう「物語」に感銘を受けていたのか、判別できない。切り離せるものではないから。

行くたびにCDを買い、サインをしてもらった。
もう買うものがないくらい揃えてしまったちょうどその頃、
他のライブ(それもジャズとノイズの競演みたいなもの)で、
わたしは耳の事故(音響外傷)に遭った。

そこから、アケタさんのライブだけではなく、あらゆるライブに行けなくなった。耳としても、精神的にも。まさにどん底。
(その間に、松風紘一さんも亡くなってしまった。松風さんの公演にも何度も足を運んでいた。)

そこから何年か経って、精神的にも回復し、耳としても大音響の演奏でない限り行けるようになったので、
挨拶に行こうかと思っていた、、、けれど、今さらどんな顔で行っていいかわからないし、田舎に引っ越したこともあり、、、
そのまま今に至ってしまった。

急に行かなくなって申し訳ないという思いもあるし、
自分が事故で地獄のような日々を送ったことで、アケタさんが抱えていただろう苦しみを、比較にはならないと思うけれど、ホンの少しは感じられるようになったこともあり、、、あぁ、うまく言えない。
そんなことが、今は渦巻いている。

気持ちの核心をうまく言葉にできないけれど、その片鱗だけでも、こうやって書き留めておきたくて、普段、意識的に書かないようにしている追悼的なものを書いている。


先日、フォーレの演奏会のことを書いた。そもそもフォーレを好きになったのも、アケタさんのCDがきっかけ。「シチリアーノ」を、藤川義明さん、翠川敬基さんと一緒に弾いている。その曲が、奇跡のように美しい。

藤川義明さん、翠川敬基さんのケンカ(殴り合い)があっての、その後の演奏ということなので、緊張感も凄い。

と言っても、お2人は「ナウ・ミュージック・アンサンブル」という演劇性も高い即興集団をやっていたこともあるので、どこまでがパフォーマンスで、どこまでがほんとのケンカなのかわからないけれど。

虚であれ、実であれ、こんなに3者が美しく旋回して高まっていくような演奏を他に聴いたことがない。

アケタさんはオカリナ講座もやっていた。
わたしは譜面も読めないし、バンドをやっていた時も、基礎なんてまったく覚えなくて適当にやっていただけだから、技術面に劣等感しかない。でも「初心者歓迎」ということで、勇気を出して教えてもらった。
本当に勇気を出してよかったと今は思う。

その時に買ったオカリナ。
滅多に吹かないけど、改めて、大切に吹いていきたいと思います。

うまくまとまらない。
大事なことは一言も書いていないと思う。
でも、それでいいというか、そういうものというか。
だから、ふだん追悼的なことは書かないようにしているのだけれど。
結局、何も書けないのだから。

ただ、ただ、感謝だけは。
感謝だけは。

ほんとうに、ほんとうに、
ありがとうございました。



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