どんなプロジェクトに関わったかよりも大切な事
2022年2月のある日、会社の後輩が、「みんなに言っても恥ずかしくないプロジェクトに関わる事が大事」だと話していた。
その時は、話半分で聴きながら、「そうだね」と相槌を打ちながら、なにか釈然としなかった。
特に、「恥ずかしくない」という部分に引っかかっていた。
そんな釈然としない出来事も忘れ、最近では日々の忙しさにバタバタとしていた。
というのも最近、僕は40歳を節目に結婚して、結婚式の準備や一人暮らしの時代の人生の清算をしている。
慣れない二人暮らしで気を遣う事が多かったのもある。
あと、いざという時の為に転職も出来るように、自分の作品のポートフォリオを作っている。
ポートフォリオは最初、今よりも良い会社に入る事や、今より高い給料、皆が憧れるようなプロジェクトに入る事を目的にしたポートフォリオを目指していた。
自分でいうのも変だが、プレゼンは得意だしコンセプトの明確化も得意で、ものの三日程で全体構成が書き出せた。
あとは文章と絵を流し込むだけとだと、たかを括っていた。
しかし、ポートフォリオを作り始めると、17年間で作った物の物量や成し遂げた事をうまくまとめるのが大変で、部屋に篭りっぱなしになってしまっていた。
これは、掃除の時に昔のアルバムが掘り起こされて、当時に想いを馳せながら、永遠に時が流れる現象だ。
掃除と違うのは、当時の思いを人に分かるようにきちんと書き出すという点だ。
当時はがむしゃらになって物作りしていただけに、当時の自分は何故このような物を作ったのだろうかと、記憶の採掘と整理をし、文章化するのだ。
それに物凄い時間が掛かる。
結婚したばかりなのに部屋に籠るなんて、ありえない、自分でもそう思うようになり、僕は妻に申し訳なくなり、どうせなら、作ったポートフォリオを妻やそのご両親にも見せたい、と思うようになってきた。
そして、想像の中で妻や、妻の両親にポートフォリオを見せる。
すると、「うわすごい!!、しかも全部良く考えられている!ああ、貴方の旦那になった人はこんな思いで作品と向かい合っていたんだね、こんなにも人を驚かせまいと頭を悩ませて努力してきた人なんだね」そう言われたいなと素直に思えた。
僕が関わってきたゲーム開発でも、同僚やユーザーが作品を見た時、驚くのを想像するのは同じ感覚だった。
その想像はリアルならリアルなほど良い。
そう、ポートフォリオは僕が歩んできた道のり、つまりコンセプトを理解してもらうための物で、そのコンセプトはやはり「人を驚かせる」なんだと改めて気付かされた。
そのためなら努力を惜しまないんだと。
人それぞれ、物作りに向き合う時は、自分のコンセプトを持っている。
あの時、後輩が言った、「人に言って恥ずかしくないプロジェクト」という言葉に、釈然としなかった気持ちの正体がはっきりわかった。
それは、僕が「どんなプロジェクトに携わったかよりも、どんな姿勢で物作りに向き合えているか」を重視しているからだ。
僕は、人からどう思われるかは気にしない。
常に人を驚かせたいという気持ちで物作りに向き合えていれば、恥ずかしくない。
集大成となるポートフォリオ作成を通して改めて自分の価値観やコンセプトを再認識することが出来た。