色彩の調和:セザンヌの「サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール」
アーティゾン美術館で開催されていた「ABSTRACTION 抽象絵画の覚醒と展開 セザンヌ、フォーヴィスム、キュビスムから現代へ」の展示作品の中から,セザンヌの《サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》を取りあげて美術批評を書きたいと思います。
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ポール=セザンヌは,同時期に活躍していた印象派グループとは異なり,自然対象そのものや外界の光の移ろいを表現するのではなく,「感覚」を表現しようとした画家であった。自然対象や外界の光が時々刻々と変化し続ける刹那的な対象であるのに対して,セザンヌが重視した「感覚」は永遠不滅なものであり,本質的なものである。時々刻々と変化する周辺的な要素を切り取ったとき,残るものは幾何学的形態と色彩である。しかし,幾何学的形態と色彩を散りばめるだけでは対象の「感覚」を表現することはできない。写実主義的な要素を残しながらも幾何学的形態と色彩の存在感を高めることで,その対象に対する「感覚」が立ち現れてくる。
セザンヌが晩年の頃に描いた《サント・ヴィクトワール山とシャトー・ノワール》(図1)には,セザンヌがその生涯のほとんどを過ごしたエクス・プロヴァンスにそびえ立つサント・ヴィクトワール山と,シャトー・ノワールという四角い城が描かれている。ただし,サント・ヴィクトワール山はその青白い山肌と丘を表す襞,および形状を除いて細かな特徴は捨象され,理想化されている。シャトー・ノワールについても,まるでブロックを積み重ねたような形態をしており,城であるという痕跡は見あたらない。前景にある左下と右上の葉は濃い緑で塗りつぶされ,葉であることが放棄されている。
このように辛うじて写実的な意味合いを受け取ることができる一方で,この絵には渾然一体とした色彩の調和を見ることができる。この絵は一見するとシャトー・ノワールの黄土色が目を引くが,よく見ると,この黄土色は空,山肌,葉,といった画布全体に渡って自然に溶け込んでいる。シャトー・ノワールの右下に至っては,もはやどこからがシャトー・ノワールでどこからが葉なのかが判別できない。また,青白い山肌と空の色の違いも曖昧でありながら,サント・ヴィクトワール山の石灰岩のわずかな白さがバランスを保っている。絵画全体を囲む空と葉の色の筆触は一定のリズムで運ばれており,そのことも全体のバランスを巧みに保っているようだ。色調・明度という観点からみると前景が暗く,後景が明るい構図となっており,明度による奥行きも感じられる。したがってこの絵は,限りなく写実的な表現を排しながらも,色彩の見事な調和が表されている。
シャトー・ノワールの黄土色がこの絵の中心にあり,青白い山肌とのコントラストに目が引かれるかもしれない。しかし,ここまで述べてきたようにこの絵では色の対立・対比,よりも色の調和・律動に焦点があたっており,それゆえに絵画全体から柔らかな印象がもたらされるのだろう。
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