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インタビュー中心の映像はドキュメンタリーと呼べるのか?


「インタビューを軸としたドキュメンタリー」は、はたして「ドキュメンタリー」と呼べるのか?

「ドキュメンタリーとは何か?」この疑問に対する答えはシンプルなようでいて、曖昧だといえる。

一般的な定義では、「ドキュメンタリーとは、事実をもとに制作される映像作品」とされているが、その「事実」をどう伝えるかという点において、作品ごとに大きな違いが生まれる。

特に、インタビューを軸としたドキュメンタリーは、単なる「事実の記録」とどこが違うのか、そして本当に「ドキュメンタリー」と呼べるのかという問いが浮かび上がる。

事実をどう伝えるのか?

ドキュメンタリーの根幹には、「事実の記録」がある。しかし、単にカメラを回して映像を収めるだけでは、それは監視カメラの映像やニュース映像と変わらない。ドキュメンタリーが映像作品として成立するためには、そこに「作り手の視点」が加わることが不可欠である。

インタビューを主体としたドキュメンタリーの場合、カメラの前で語られる言葉が作品の核となる。語り手の経験や考え、感情が映像に記録され、それが観る者に伝わる。しかし、同じ人物のインタビューでも、撮影の仕方や編集次第で印象が大きく変わるのは明白である。

インタビュアーがどういった質問を選択するのか、語り手のどの言葉を残すのか、どういう順番で編集するのか——こうした選択が「事実の伝え方」を決定づける。つまり、インタビュー映像がそのまま事実であるとは限らず、そこにはすでに作り手の意図が入り込んでいる。

物語性とドキュメンタリー

ドキュメンタリーが「単なる記録」と異なる点の一つに、「物語性」がある。

たとえば、ある人物のインタビューを撮影したとして、それを質問と回答の順番通りに並べた場合、それは情報の羅列にはなっても、必ずしも「作品」とは言えないかもしれない。しかし、インタビューの内容を編集し、語りの流れを意識して構成すると、一つのストーリーが生まれる。つまり「物語性」だ。

人は物語によって感情を揺さぶられ、より深く共感する。ドキュメンタリーにおいても、単なる事実の提示ではなく、そこに語りの起承転結が加わることで、観る者の心を動かす力を持つ。

ここで重要なのは、「物語性」と「事実の歪曲」とのバランスだ。あまりに強調しすぎると、作り話のようになってしまう。しかし、全く構成を加えずに事実を並べるだけでは、観る者に伝わりづらいものになってしまう。このバランスをどう取るかが、ドキュメンタリー制作の大きな課題とも言える。

インタビューは物語を生む

インタビューを軸としたドキュメンタリーは、語り手自身が物語を生み出す点で非常に強力な手法だ。

例えば、ある人物の人生をテーマにした場合、語り手の言葉はそのまま物語のナレーションとなる。そして、その語りに対して、過去の映像や写真、現場の映像を重ねることで、視聴者により強く伝わる表現が可能になる。

そして、ここで、作り手の編集や演出が重要になってくる。事実を忠実に伝えながらも、視聴者が理解しやすく、感情移入しやすい形にする。そのために、映像のテンポや音楽、ナレーションの有無などが工夫される。つまり、インタビューを主軸とするドキュメンタリーも、構成次第で強い「物語性」をもつことができるのだ。

「インタビューを軸としたドキュメンタリー」は「ドキュメンタリー」なのか?

結論として、「インタビューを主体としたドキュメンタリー」は、もちろん「ドキュメンタリー」と呼べる。

その理由は、次の3点である。

  • 事実をもとに制作されていること

  • 作り手の視点や編集によって「事実の伝え方」が決まること

  • インタビュー自体が物語を生み、視聴者に伝える力を持つこと

つまり、ドキュメンタリーとは、単なる事実の記録ではなく、作り手の視点と編集によって「事実をどう見せるか」が問われる映像作品である。インタビュー映像もまた、編集と構成によって物語性を帯びることで、ドキュメンタリーとして成立すると言える。

だからこそ、インタビュー映像を軸にしたドキュメンタリーを制作する際には、単に言葉を記録するだけでなく、「この映像で何を伝えたいのか?」という視点を持つことが重要になる。事実と物語性のバランスをどう取るのか。それが、ドキュメンタリー作りの醍醐味でもある。

臨床心理士・公認心理師をしながら、ビデオグラファーとしてインタビューを軸としたドキュメンタリー映像を制作をしています。WEBサイトにて、これまでの作品集を掲載しています。是非、ご覧ください。

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https://www.instagram.com/tanebi.film/

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