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Sunday People

仕事をほぼ定時に終えて帰宅。これは僕が最低限確保したこと。これを手にする為に僕は自分ができうることを主張した。そして、それを手にした。すると、これは僕が求めていたことではある…ものの、さらにもっと”自分の1日”というものを研ぎ澄ましていきたいと思う。思うようになった。ここにいたら、もしかしたら、もう一度、元に戻ってしまう可能性すらある…ものの、さらに”研ぎ澄ましたいという気持ち”は、”ほんもの”だと思う。それは、僕の中から湧いてきたものだから。僕は以前よりもよい環境(定時に帰ることができる環境)…にいても、現状に満足なんてしてはいない。定時に帰ることなんていうのは、インフラ(給料が支給され、生活を維持するためのものとして)の最低ラインだと思う…。僕は仕事をしている間は、仕事に集中している。これは、僕が仕事に大して”ある程度は社会の一員になっている”という大前提のようなもの(人としての…アリ社会で言えば、はたらきアリのような。ネジのようなもの。僕がどうにかするもの…できないものとしての)だし…どこかで”なんかしらの価値”を見出しているからだと思う。”やりがい”だとかいう”うさんくさい”ものとは違う。誰が考えたんだろうか、”やりがい”とかさ。
研ぎ澄ます…僕は”自分がしたいと思うことをしていない時間”を少しでも減らしたい。規定の勤務時間の建前の中、僕が”自分でしたいと思う時間”はとても少ない…ものの、それによって僕の生活は成り立っている。
それは、ある意味では”不自然”なこと。ある意味では”自然”なこと。

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